濁音の規則

さて、東北弁の特徴に濁音がある。濁音は、名詞だろうが動詞だろうが形容詞だろうが、はたまた人の名前だろうがあらゆるところに現われる。当然そこには規則があるのだが、ドラマなどで話される東北弁の濁音はデタラメに入れられることが常である。

しかしこれを責めるのは酷だろう。なぜなら、どういうときに濁音が付くのか東北人自身が説明できないからだ。もちろん規則性はある。人によって違うとか同じ人でも気分次第で違うということではない。どこに濁音がつくのかは完全に固定されているのだが、その規則を一般化して説明できないのだ。もしかすると書いてみれば規則性がわかるかもしれないので書いてみる。初めての試みだ。

まず題材として、ある小説の冒頭を引用しよう(一部変えてある)。

「それで、お金のことはなんとかなったんだね?」と村上と呼ばれる少年は言う。幾分のっそりとした、いつものしゃべりかただ。深い眠りから目覚めたばかりで、口の筋肉が重くてまだうまく動かないときのような。でもそれはそぶりみたいなもので、じっさいには隅から隅まで目覚めている。いつもと同じように。

これを訛ってみる。本気で訛ると母音や単語そのものまで違うので東北人以外にはまったく意味がわからなくなるので、ここでは濁音以外は訛らないことにする。実際にはありえない訛り方だが、濁音の規則性を知るための実験だ。

「それで、おねのごどはなんとなったんだね?」とむら呼ばれる少年は言う。いぶんのっそりした、いっつものしゃべりがだだ。深い眠りら目覚めりで、くの筋にが重くてまだうまないどぎのような。でもそれはそぶりみいなもので、じっさいには隅ら隅まで目覚めいる。いっつも同じように。

我ながらなんたる濁音の多さだろうか。村上という固有名詞まで「むらがみ」と訛るのだ。ここ数日の考察で、ある音の直後の音には濁音が絶対に付かないことを見出した。それは「深い」の「ふ」や「○○していた」の「し」あるいは「来た」の「き」だ。この三つに共通するのは母音を息を抜くように発音すること。このような音の直後に濁音をつけるのが難しいことは発音をしてみればわかだろう。だから「ふい(深い)」とか「○○しいた」とは絶対に言わないのだ(ドラマなどでこのように発音するときは当然、前の音を修正した上で濁音をつけている)。同様に、「行ってきた」などの「っ」の直後の音が濁音になることもないような気がする。理由は同じく発音が難しいからだ。「行っきた」なんて東北弁を聞いて「なんて言いづらい発音なんだ」と思う人もいたかもしれないが、それは我々だって言いづらいのでそうは言わないのだ。あと、外来語は濁音がつかないような気がする。そういう例を見つけられなかったが、例外もあるかもしれない。なにしろ規則を一般化できていないのだから、どんな反例が出てくるかわからない。

今のところはわかったのはこれくらいである。

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