今月発売の卓球王国用に、卓球レポートの休刊についての原稿を書いた。
そのために1週間ほど蔵書を読んだのだが、さすがに66年からの蔵書すべてに目を通すのは不可能で、2日ほどであきらめた(やろうと思ったところが我ながらどうかしてる)。
それで、自分がリアルタイムで読んだ80年代の卓球レポートに絞って書いたのだが、振り返ってみると、すべての卓球レポートの歴史のうちで、もっとも精神主義が炸裂していたのがこの80年代だったように思う。
なにしろ創業者田舛彦介が巻頭言『炎』でいきなり若者のだらしなさを叱咤したかと思えば、元世界チャンピオン長谷川信彦が『作戦あれこれ』で「異質反転型との対戦でもっとも重要なことは心構えだ!」などと、強烈な精神論を説き、続くページでは元世界チャンピオン伊藤繁雄が大股開きなどのあられもない素振りの連続写真を次々と公開し、そればかりか60分間「素振り」だけのビデオテープまで発売する凄さなのだ(しかも12,000円!)。
今思えばこういう雑誌が存在したことは奇跡であり、よくもたまたま私がその時代にめぐり合わせたものだと感心したが、もしかするとそれは逆かもしれない。
卓球レポートの異常な熱量があったからこそ私がそれに感染して卓球にのめり込んだのであり、これは必然だったかもしれないのだ。
このブログのプロフィールにあるウェブサイト『現代卓球』は、卓球レポートのパロディとして作ったぐらいなのだから。
私も80~84年の卓球レポートを今も保存していて時々、読み返します。当時理解出来ない部分もありましたが、貴重な情報原で貪るように読みました。
僕の記憶では、卓球レポートの論調の大きな流れは、
70年代:ドライブとスマッシュの使い分けが重要だ(スマッシュが得意な河野満と小野誠二が77年79年と世界チャンピオンに)!(自社主力製品なのに)スレーバーは長谷川でも使いこなせない。普通のラバー(プラウスなど)でドライブとスマッシュの使い分けを目指そう!
80年代:世界で勝てなくなり、「日本が勝てないのはバックハンドの致命的弱点が主因!」。しかしながら、世界チャンピオンにこそなれなかったものの、斉藤清が郭燿華に3連勝し、祭振華に’83東京の準々で勝ちそうになり、全日本を8回とった主因(ドライブの強さ)はあまりコメントなし。
90年代:スエーデンの台頭などで、さらにドライビングコンテストの時代となり、レポートから「スマッシュ」という単語が消える。
といった感じだと思います。その上、条太さんがコメントされたような「精神主義」が蔓延っていたのであれば、日本が勝てなくなるのも無理からぬところです。「精神主義」を説いた人たちが悪いのではなく、当時の卓球best & brightestを結集しても、簡単には科学的な議論ができなかったということでしょう。私も、当時卓球レポートやニッタクニュースの書いてあることは絶対正しいと信じていましたしね。
卓球と言うスポーツと言う競技、趣味のどちらの場合でも、明るいか、暗いかの尺度で測る事自体、本質的ではなく気にする必要は無いとの伊藤さんのコラムを以前拝見し、同感です。ただし、誰を犯人探しをするつもりは無いが80年代の競技力の弱さ、卓球レポートの精神論と卓球のイメージの悪さの時期の3つは妙に一致すると思います。
80年台にゴールデンエイジを過ごした世代が暗黒期を作り出したのも納得できますねこれは。
条太さん、お疲れさまです。
’80年代の卓レポ・・・
自分は卓球部入部前からのマニアでしたから(苦笑
’87年頃から読み始めましたが
確かに凄い精神主義でしたね。
その一方で、純粋な技術論は
往々にして、中韓・欧州の
後塵を拝する格好だった気がします。
それに対して、”選手目線”で
「それは違うんじゃないか」と
一石を投じたのが
王国創刊に伴って幕を閉じた
Tトピだった・・・という感じでしょうか?
自分の技術的にも
「左バックショート主戦」という特異さは
卓レポでは初手から×、
Tトピ→王国でようよう蜘蛛の糸を
掴んだ気分でした。
まだ条太さんのコラムを
拝読していないのですが、
メーカー+’60・’70年代王者の”思想”を
根強く残した卓レポが舞台を去るのは
ある意味、必然だったかもしれませんね。
長文、失礼しましたm(_ _)m。