私は自分の服装というものには何の興味もないのだが、体面上、毎日同じシャツだと汚いと思われそうなので、一応、毎日替えている。そのため毎朝、着るシャツを選ぶ作業がなんとも不愉快なのだ。どれでもよいといっても、なるべく前に着てから日が経ったものがよい。そんなことをあれこれ考えるのが嫌なのだ。それで、一時期は曜日ごとにシャツを並べていたこともあったが、それもなんだか面倒になって結局、毎朝面倒な思いをしている。
ところがよく考えると、服装に興味がないはずの私も、実は着るときに贔屓して着がちなデザインがあるのだ。それは、青の縦じまのシャツだ。下にガラ物のTシャツを着ても透けにくいし、なんとなく好きなのだ。
それで今回、思い切って同じガラのシャツだけ数着買ってしまえと思った次第だ。着心地や耐久性など、買ってからしかわからないことがあるから、今回は複数の店で別の製品を買い、しばらく使ってみて気に入ったものを後で大量に買って、生涯、二度とシャツのことを考えなくてよいようにしようという計画だ。毎日同じシャツなら同僚も替えているかどうかわからないから実際に替えていなくてもバレないという利点もある。
それで買ったのがこれらのシャツたちだが、
泊まったホテルのガウンも同じ柄だったのがまったく奇遇であった。
はじめまして。masashiと申します。記事とは関係なくて恐縮なのですが、質問をさせて下さい。今荻村伊智朗さんと田中利明さんという人の使ってた用具を調べているのですが、スポンジラバーと裏ソフトラバーという情報しかわかっておりません…。伊藤さんならもう少し詳しく知ってらっしゃるのではと思って聞かせていただきました。
初めまして。私も知りませんし、当時の雑誌に選手の使用用具はあまり載っていないと思いますが、近々、当時のことに詳しい人と会う予定がありますので、そのときに聞いてみます。ところで、調べているというと、研究でもなさっているのでしょうか?
マニアのKOです.
おや,こんなところに田中利明の話が(^^).
伊藤さんのおっしゃるように,当時の雑誌には選手の使用用具の具体名は載っていないと思います.当時はアマチュア規定が厳しく,用具の具体名を明らかにするとアマチュア資格を失うおそれがあったからです(選手としての名声を利用してそのメーカーの宣伝をおこなった,ということになるらしい).アマチュア資格を失うと国内では試合に出られないという時代でした.実際,荻村・田中の前代の覇者であった藤井則和が藤井式ラケット,ラバーの問題でアマチュア資格を失っています(他にも原因はいろいろあったようですが).今からすると隔世の感があります.
田中の裏ソフトは10mmだったというのをどこかで読んだ記憶があります.あと,誰だったか忘れましたが裏ソフトの2枚重ねというのもあったようです.荻村ははじめスポンジでしたが,1959年ドルトムント大会後からのラバー制限のために裏ソフトに転向しました.
荻村の「中高校生指導講座」に田中の話がいくらか載っています.1956年東京大会での対ガントナー戦の伝説の大逆転劇,バーグマンが奇策を用いて田中を連覇した話,など.youtube で「日本の卓球 荻村 田中」で検索すると,荻村が日大映画学科の卒業制作で作った「日本の卓球」という映画が出てきます.この中で荻村と田中の練習動画が見られます.
田中利明が使っていたラバーはヤサカオリジナルのようなものだそうだと情報を得ましたがあくまでそのようなものだとの情報に留まります。
あ、あと田中利明さんのプレーや技術について記述の多い本があれば教えて下さい。ちなみにバタフライの『世界の選手に見る卓球の戦術・技術』は既に知ってます。
確かに多いですね、青のタテ縞。あと焦げ茶色のフリースが印象的です。
しかし、「毎日同じシャツなら、実際に替えていなくてもバレないという利点がある」とのことですが、新しいシャツに替えたのに「毎日同じシャツを着ていて汚いと思われる」ほうがシャクじゃないですかね。可能性としては後者のほうが高いかもしれませんね(笑)
あまね。だから宣伝する必要があるのですよ。こういところでね(笑)。
KOです.
伊藤さん:
> 田中利明が使っていたラバーはヤサカオリジナルのようなものだそうだと情報を得ましたがあくまでそのようなものだとの情報に留まります。
なるほど,ヤサカ創業者の矢尾板弘さんは戦前から長年(何十年か)日大卓球部の監督をされていましたから,いかにもありそうな話ですね.今と違って当時はラバー制限がなく,厚さ10mmでも2枚重ねでも,表面に自分でゴムをコーティングしても,サンドペーパーでも(さすがにないか)よかった時代ですので,自分で加工などしていた可能性もありますね.