三男の小学校の卒業式があり、通信簿と工作を持って帰ってきた。
工作はオルゴール付きの小物入れだが、なんとそのデザインは日本の国旗。
よっぽどアメリカ生活が嫌だったらしい。わが三男は、左翼の人たちが大騒ぎしそうな「軍国少年」というところだろうか。
折りしも震災で日本人の品格が世界に認められつつある昨今、私にとっても非常にタイムリーな工作だったといえる。それにしてもデザイン性のかけらもないが。
会社の駐車場に停めてあった愛車マーチが見つかった。ちょっと離れたところにレッカー移動されたらしく、他の車たちと一緒にぎっしりと並べられていた。車のナンバーは覚えていなかったが、トランクに見覚えのあるコードとボックスティッシュがあったのでわかった。後の席には田村の自転車を積んだときに汚れないように敷いた新聞紙が残っていた(田村は「これで自転車でシートを汚したのを気にしなくて良くなりました」と喜んだ)。
助手席の物入れから車検証を見つけて自分の車であることを確認した。
何台かの車にチラシが貼ってあるのでよく見ると、運んで廃車手続きをしてくれておまけに買ってくれるのだという。早速電話をかけて買取価格を聞くと5,000円~10,000円だということだ。只でもいいくらいなのでお願いすることにした。
さも人助けのためのようなことを書いてるが、ちゃんと儲かるのだろう。ガソリンもしっかり抜くんだろうな。書いてあったウエブサイトのURLにアクセスすると「作成中」となっているし、仙台の小さな会社だというので、おそらく震災後に急にビジネスを思いついたのだろう。たいしたものだ。
29万円で買って、発進時に下の方からカタカタと音のするクソ愛車マーチだったので、まあ良しとしよう。
現在私がお世話になっている妻の実家に、今回の津波で家を失った妻の叔母夫婦が石巻から昨日、避難してきた。被災して以来、ずっと近くの中学校に避難していたのだが、今後しばらくはここに住むことになった。
70代後半の叔母夫婦は、地震が来たとき、家の近くのイオンスーパーで買い物をしていたという。レジに並んで1万円札を出したときに大きな揺れがきて、店内は大騒ぎになった。すぐに「津波が来るので逃げろ」となった。レジが動かないのでおつりを出せないと言われた叔母は1万円札を返してもらい、その上、商品だけ只でもらえないか聞くが、「それどころじゃない、逃げろ」と叔父に諭され自宅に向かった。
家に着くと仙台から近くの実家に帰省していた大学生の孫が飛び込んできた。一緒に車で逃げようというのだ。大急ぎで金庫の中からお金やら書類やらを掻き出していると、孫は「一度家に戻る」と言っていなくなってしまった。そのうちに、「水が来た」という声が辺りから聞こえてきて、向かいの家の奥さんが「上がっていいですか」と避難してきた。一度、叔母夫妻の家に入ったその人は、なぜか再び水位の高い自分の家の方に戻って行き、未だに見つかっていないという。看護婦をしている人だったという。
水はどんどん流れてきて、外に逃げるのは諦めて2階に避難した。孫が勝手口から飛び込んできて、3人で2階に上がった。水は2階の床上30センチほどになって止まった。3人はベッドの上で膝をかかえてそのまま恐怖の夜を迎える。
家や自動車などさまざまな漂流物が流れてきて家にぶつかる。横に長い家だったが、大きな車がぶつかってちょうど避難していなかった側半分がむしりとられた。大量に流れてきたオイルやガソリンの臭いが立ち込め、口が開いたままのプロパンガスのボンベが水上でシューシューとガスを噴出しながらねずみ花火のように回転している。引火とガス中毒が恐ろしくて、雪の降る中、一晩中窓を閉めることもできない。水の底の方で点滅している自動車のテールランプが心底不気味に見える。
余震の津波が来ると、遠くの松林からサワサワと音が聞こえてくる。そのたびにもう終わりだと思い「3人で死のう」と堅く抱き合った。
大学生の孫は隣の家でひとり2階に避難していた奥さんに声を掛けて一晩中励ました。その奥さんは家族5人のうちひとりだけ生き残ったという。
翌朝、水が引くと1階の台所にどこかの遺体が浮いていた。水が膝ぐらいになるのを待って、避難所である中学校に移り、昨日までそのまま着替える機会もなく避難をしていた。ここに来て地震後初めてテレビを見た、乾いた服と布団が夢のようだ、他に何も要らない、と言った。
幸い、息子夫婦も孫も親族はすべて無事であり、生き延びた嬉しさに、涙はまったくなかったが「こんな経験は1回で十分、1回も要らない」と語った。
昨日は、あまりに頭がかゆいので、仙台駅前で見つけた個室ビデオ鑑賞店でシャワーを浴びた。仙台都市ガスはまだ復旧していないのだが、ところどころプロパンガスのために湯が出るところがあるのだ。個室ビデオ鑑賞店は初めて利用したが、インターネットカフェと同じようなもので、60分で1500円、DVDは6枚まで借り放題だった。シャワーはひとつしかなくて順番待ちだったので1時間半後を予約し、そのため、12時間2500円のコースを利用するしかなかった。これなら宿泊にも使えるので便利だ。これからも利用したい。それにしても、60分でどうやってDVDを6本も見るというのだろう(と、とぼけてみる)。
一昨日は開いていなかった、レストランやコンビニも開き始め、街は急速に日常を取り戻しつつある。相変わらずおにぎり売りが近づいてい来ると思ったら、どうも私の外見がいかにも腹を空かしているように見えるようだ。単に会社に行っていないのでヒゲを剃っていないだけなのだが。
「腹、空いてないぞー」と、この場でうったえておく。
一昨日、今野編集長からメールが来て、来月発売の卓球王国は災害への応援特集にするとのことで、私は通常の連載とは別に被災者としてレポートも書くことになった。
テレビや新聞では伝わらない私らしい内容をとのことだ。シリアスすぎるのは得意ではないしかといってユーモアを書けるはずもない。このブログのように淡々と書くしかないだろう。
メールをもらったあと電話で今野さんとゆっくり話したが、東京の方では仙台全体がテレビのニュースのように車がひっくりかえっていると思っているそうだ。外国となるともっと極端で、もう日本中で家屋が倒壊して死の灰が降っていると思われているそうで、今野さんには日本脱出のオファーが何人もから来たと言う。今野さんの家族分の飛行機のチケットを確保したという人さえいたらしい(そのわりに1枚足りなかったそうだが)。
昨日、仙台の街中に行って見たが、水と電気はすでに通っていて、開いている本屋はあるしタクシーも走っていた。街頭でおにぎりなどを売っている人たちがいたが、誰も見向きもしないで歩いていて、牛タン弁当とかおいしそうなものにだけは行列ができていた。この後におよんでグルメなのであり、街中では誰も飢えている様子はない。声を枯らして売れないおにぎりを売っている人たちの方がむしろ哀れな感じがした。
買う必要のない人が買う必要のない量を買っているために店に物がなくなっているのは、東京も仙台も同じだ。義姉の情報によると、呆れたことに広島でも無用な買い占めが起こっているという。事態が収まれば今度は家庭にも店にも在庫が大量に膨れて廃棄処分にせざるを得ないものが出てくるだろう。まったくバカバカしい。