カテゴリー別アーカイブ: 未分類

そうじゃのう

映画や小説の中でしか出てこない言葉遣いが気になる。

たとえば「名探偵コナン」に出てくる博士のように「○○じゃのう」「○○なのじゃよ」というお爺さん言葉だ。我々はこれを小さい頃からマンガやアニメで慣れ親しんできたが、実際にこのように話す人はほとんどいない(広島などの方言としての用法を除く)。

同様に、「○○なのよ」「○○だわ」という言い方も、男子がまったく別のニュアンスで使うことがあるが、映画や小説のように若い女性が女性言葉として使うことはない。東京の70代ぐらいのおばさんたちが使っているのでこれは昔の言葉遣いが創作物の中にだけ残っているということなのだろう。

なにしろ言葉遣いでその人の性別や年齢の見当がつくのだから小説には便利なのだろう。それが映画やマンガにも引き継がれているのだろう。

これらの現実にはない言葉遣いを自然に話すことが役者には求められるので大変だと思う。言葉が違うからいつも通りに自然にはやりようがないのだ。

非常ボタン

仙台駅のホームに非常ボタンがついていて、その説明書きがあるのだが、なにしろ本物のボタンよりもこの説明書きの方が目立つので、非常時に慌てた人が、この説明書きのボタンをグイグイと押し、突き指をしたりしているうちにどうにもならない事態になることを想像してしまうのは私だけだろうか。

普段からよく認識していることが必要だろう。

花屋の人

いつも行く店で、非常に印象深い青年とお話をした。

その方は近所で花屋さんをやっているという。一応、人も雇っているので社長であるわけだから大したものである。ところが本人はそうは思っていなくて「花屋なんかやるもんじゃありません」と言う。起業は生活のために仕方なくやっているのであって、会社勤めできるのならそうしたい、毎月必ず給料が入ることがどれだけ素晴らしいことかと語った。

今でこそ花屋も軌道に乗ってこうやって飲み屋で飲めるようになったが、初めたばかりの頃はお客さんがつかず、注文のメールも電話も一本もない日が3日も続くと不安で不安で鬱病になりそうだったという。

なるほど、そういえばそうかもしれない。世の中の厳しさを知らず甘いことを言うものではないなと思った。私ももう51歳なので今さらその感想もおかしいとは思うが。

当然、花屋になった経緯を聞くことになる。彼は岐阜出身で、高校は先生に無理だと言われた進学校に合格したが、勉強することにどうしても意義を見いだせず中退したという。それである演劇を見に行ったときに、その舞台の飾り付けに痺れるものを感じて「誰がこれをやったのか」と関係者に聞くと、花屋の仕業だという。それで「これだ!」と思って花屋に弟子入りしたという。

その飾り付けをしたのが花屋ではなく別の業種の人だったらその業種に行ったと思うとのことだ。

ううむ。花屋さんがそういう芸術表現の一種だとは知らなかった。

弟子入りした花屋の師匠から「パリで国際的な展示会があるから行って勉強してこい」と言われ、喜んだらなんと自費でしかも週末を使って2泊3日だかの強行スケジュールだったという。うーん、花屋って特別厳しい。

彼の花屋はウエブサイトはなく安くもなく、デザインが気に入ってくれた人の口コミで成り立っているという。

花にはそれぞれ長持ちするものとそうではないものがあるので、ニーズに応じて仕入れ、保管する技術が経営上の重要な要素だという。

同時にこの方は大のパンクファンであり、特にクラッシュのファンだということだ。「高校中退→花屋」だから確かに生き方もパンクっぽい。

さて、卓球コラムニストはパンク的と言えるだろうか。言えないな全然。

河北スポーツマガジン

本屋で極めて珍しい光景を目撃した。仙台で発売されているローカルな雑誌「河北(かほく)スポーツマガジン」という雑誌で、卓球がデカデカと特集されているのだ。

まず表紙からして今話題の張本だ。だいたいこういうものは、表紙だけ張本で中身は野球とかサッカーであるのが普通だが「台上の熱球物語71チーム紹介」などと書いてある。

まさかと思い、ページをめくると本当に卓球の特集であった。

「真っ向勝負」とか書いてあるが、卓球王国とも真っ向勝負する勢いだ。

冒頭には張本の特集で4ページが費やされ、続いて宮城県内の強豪チームや有望選手の紹介、しまいには全71チームを詳細に紹介している。

卓球王国じゃあるまいし、一般の読者のどこにそんなニーズがあるのだろうか(笑)。

ついでに中学校まで優勝校を紹介する念の入れようだ。

ともかく、嬉しい誤算であった。次に卓球の特集をする機会があったら、仙台市内の試合態度が悪いオヤジたちの特集や、仙台卓球界の5大バカの特集を提案したい。

マーボ焼きそばの人と祭りの話

このブログに最初にマーボ焼きそばのことを書いたのは昨年の今頃のことだ。出張先の飲み屋の常連客から聞いたのだった。昨夜、同じ飲み屋でその人と話したのだが、偶然にも彼は前日に自宅でマーボ焼きそばを作ってみたばかりだという。

ところが豆腐の量を間違えたとかで、味が薄くなり、しきりに後悔しているのが可笑しかった。450gであるべきところが何gにしてしまったとかで、スマホに収めた写真まで見せてくれた。

この方は大手の立体駐車場メーカーの執行役員だそうだが、一体何をやっているのだろうか。

彼からは他にも面白い話を聞いた。営業トークにおいて禁句が3つあるそうで、それは「政治」「宗教」「祭り」だという。政治と宗教はわかるが、祭りが禁句とはどういうことだろうか。

なんでも、世の中には祭りに異常に入れ込んでいる人たちがいて、中途半端なことを言うと怒りを買うのだそうだ。実際、彼は最近、ある飲み屋で祭りについて話したところ、相手の男性から「その程度の知識で祭りのことをとやかく言うのは私の前だけにしておいた方がいいですよ」と後を振り返りながら小声で言われたという。

いったいどういう世界だろうか。疑問に思った私は「世の中には祭りに命をかける人たちがいるのは知ってますけど、そんな人たちは人口の1%もいないでしょうに」と言うと「いや、20%から30%はいますね」と店のマスターが割って入った。なななな。

さらにもうひとりの女性客が「私は、神輿を担がないのは祭りとは認めないからね。担がないならただのイベントだからねそれは」と言った。

なんだなんだなんだ、と思ったら実はこの店界隈は、江戸時代からの古い歴史ある宿場町であり、そういう土地柄なのであった。ああびっくりした。

というわけで、これ以上余計なことは言わない方がよさそうだと思い、おとなしく焼酎を飲んだ夜であった。

発見!マーボ焼きそば

出張先の飲み屋で隣に座った人から「仙台では焼きそばにマーボー豆腐をかけるんですよね?」と言われて早一年が過ぎた。

仙台に32年住んでいるがそんなものは一度も聞いたことがなかったのだが、先週末、偶然にそれを発見した。

デカデカとのぼりを立てている店があるではないか。

こいつらが張本人か!と思い、すぐに入ってみた。麻婆焼きそばはこの店の名物らしく、店内のお客さんの半分以上が注文していた。

出てきたのは、予想とは別にごく自然なものであった。焼きそばにはほとんど味が付いておらず、いわばあんかけ焼きそばのあんの部分が麻婆豆腐になっているといった感じだ。私は濃い味が好きなので、麻婆豆腐が極端に酸っぱかったり辛かったりすることを期待したのだが、ほんのり薄味であり、少しがっかりした。

とはいえ、美味しくないわけではないし薄味は体にも良いだろうと考え、かなり多めの量をたいらげてしまい、結局は食いすぎて後悔したのであった。

ともかくだ、美味いことは美味かったが「仙台では焼きそばにマーボー豆腐をかける」というのは誤解を招く表現であることをここではっきりと書いておく。

ラジオ出演

トップページでも紹介されているが、来週水曜25日、朝8:20から10分間ほど、文化放送というラジオに生出演することになった。卓球コラムニストとしての登場だ。

過去のゲストを見ると「世界一の替え歌ジャーナリスト」などという、卓球コラムニストといい勝負の人たちが出ているようだ(笑)。

そういうわけで、関東圏の方々、25日の朝、お会いしましょう!(他の地域でもある程度は聞けるようです)

放送局:AMラジオ 文化放送(1134kHz)
番組名:『福井謙二 グッモニ』 「グッモニ文化部 エンタメいまのうち」コーナーhttp://www.joqr.co.jp/good/

偉い中学生からのハガキ

今日、編集部からアンケートハガキが届いたのだが、その中に、偉い中学生のハガキがあった。

埼玉県秩父市の浅野敏益くん14歳だ。

彼は卓球王国とこのブログの両方を読んでいるという偉い中学生だが、このブログの下記の書き込みで「気になることがある」という。

それは1月2日の記事についてだ。

「振華ちゃんの文字を見てすぐに蔡振華の名が出てくるものなのでしょうか。先生のレベルまで卓球が好きになると本当に出てくるのですか。とても気になりました。本誌に載せていただけると幸です」

だそうだ。最後にアピールをしているところも抜け目がない。さすがに雑誌に載せるネタにはならないが、ヤル気をくんでこのブログで紹介する次第だ。

我々の世代では蔡振華は今の張継科と同じくらい有名な存在だったので、浅野くんが「継科」という文字を見て張継科を思い出すのと同じことだ。もし「継科」を見ても張継科を思い出さず「坂本龍馬」を見ても馬龍を思い出さず「ボラ」を見てもボルを思いださないようであれば、卓球人としてはかなり問題なので、思い出すまで素振りをする必要があるだろう。

私などは、ボラの画像を見ただけでボルを思い出すほどだ(嘘)。

ボラ:ボラ目ボラ科ボラ属 学名Mugil cephalus cephalus Linnaeu

タンゴ3兄弟

先日、同じ会社に勤める卓球ファンの吉村さんと卓球バーでご一緒した。

吉村さんは趣味が卓球ばかりではなく、なんとタンゴミュージックの愛好家でもあり、「ラティーナ」というラテン音楽雑誌でCDレビューを書いている方であった。

タンゴミュージックが趣味とはまたマイナーにもほどがあるが、いつからそんなことになっているのか聞いたところ、小学生のころからだそうだ。いったいどういう生活をしているのだろうか。

タンゴミュージックと言われてもピンとこなかったので「たとえばどんな曲ですか?」と聞くと、有名なところでは「ダンゴ3兄弟」だそうだ。タンゴとダンゴで駄洒落になっていることを指摘すると「それはもちろんわざとです。そもそもがその意図で作られた曲なのです」だそうだ。

それにしては今まで私は誰からもそういう話を聞いたことがないのはどうしてだろうか。

そう聞くと吉村さんは「自明だからですよ」とすまし顔だ。ホントかよこのオヤジ(笑)。私も同学年だが。

それにしてもよりによってタンゴミュージックのファンとはマイナーな人もいるものだと思ったが、吉村さんにれば、タンゴミュージックは実は我々の世代の前は流行していて、その後も流行しているので、我々の世代がちょうどタンゴミュージックファン人口の谷になっているのだという。だからマイナーに思えるのは錯覚だという。ふひーっ(ウソこけっ)。

さて、卓球とどちらがマイナーだろうか。もっとも、どちらがマイナーであったとしても、吉村さん自身はマイナーの2乗で、どこにも逃げ場のないチャンピオンであることに変わりはない。

「だめよーだめだめ」

昨年、日本エレキテル連合という漫才だかコントの「だめよーだめだめ」というのが流行した。今でもときどきこの台詞がテレビにでることがあるし、一般の人でもちょっと言うことがあるだろう。

しかし私にはこれのどこがギャグなのかわからない。世の中に面白くないギャグは沢山あるが、いずれも、どのように可笑しいつもりなのかぐらいはわかる。ところがこの「だめよーだめだめ」という台詞は、それにいたる背景(愛人ロボットだということ)を理解してみても、なぜそれが可笑しいのか、可笑しいつもりなのかがさっぱりわからないのだ。

しかしあれほど流行するということはちゃんと可笑しい理由があって大衆はそれを理解しているのだろう。最初、私だけが知らない重要な設定があるのかと思っていたが、何度かコントを通して見ても特にそういうことはない。

あえていえば、二人の話し方が、小津安二郎の映画のパロディになっていることぐらいだ。右側の中年男性はまぎれもなく笠智衆だし、左の愛人ロボットは「そうよそうよ」などと同じフレーズを執拗に繰り返す小津映画の女性たちそのものだ。しかし小津映画などほとんどの人は知らないのだから、そんなことはヒットした理由たりえない。

やっぱり私だけが見落としている設定がどこかにあるのだろうか。うーむ、不思議だ。

Page 27 of 235« 最初へ...2526272829...最後へ »