Copa Tango (アルゼンチン身障者大会)

Copa Tango のCopaコパはスペイン語で「優勝杯、トロフィー」これらの争奪戦の意味。Tangoタンゴは世界的に有名なアルゼンチンタンゴのTangoタンゴを大会名の冠に使った大会。中年米では有名な大会で、毎年12月上旬ブエノス・アイレスで行われる“Copa Tango 身障者大会”です。

アルゼンチン卓球連盟が主催するこの大会種目は、知的・精神障害を除く身体障害部門の車椅子と立位(車椅子を使わず立って競技が出来る種目)で、それぞれ障害の重軽度のクラス分けを大会前に確認・判定しクラスを決めます。

クラス分けされたどの選手も様々な状態から工夫したサーブやレシーブ、決定球やブロック等全身を使ったプレーに感動する場面を沢山見ることが出来ます。 重度の選手が行うコート内のボール拾いや、その他諸々サポートが必要とする為のアルバイトの応援依頼を受けることが有りました。 一方、選手には試合を見ることを勧めました。健常者から見れば、不自由な身体から繰り出される打球や上手くボールを操る動きから多くのことが学べるからです。プレー以外でも感動する場面が多く、自分の卓球人生に活かせると確信出来るからでした。

中南米の人々が身障者を含め非力な人達に、自然な振る舞いでサポートする光景をよく見ます。例えば、バス・電車の乗り降りで身障者に手を差し伸べる行為だけでなく、健常者の高齢者・女性・子供を抱えた親子を見つけたら、若者が率先して(声を掛ける迄もなく)当たり前の様に座席を譲る光景を見ます。今の日本ではありえない光景に心が温まる思いをし、反面とても恥ずかしい気持ちになります。

Copa Tangoが多くの人に支持され応援される素地は、この様な心ゆたかな人間性からくるものだと心を打たれました。

 

中南米オリンピック最終予選会

チリ・サンチャゴでRIOオリンピックの最終選考会が4月1日~3日に開催された。驚いたことに公式卓球台はリオ、東京オリンピックで採用が決まっている日本のメーカー「SAN-EI」だった。男女各6名の代表権を巡っての最終予選会。代表の決定方法は毎日男女2名を決め、初日代表に成れなかった選手は2日目・3日目にチャンスがあるトーナメント(ノックアウト)方式。昨年パンアメリカ選手権で優勝したカルデラーノCALDERANO Hugo(Brazil)を除く男子5名、女子6名の代表をめぐって、男子37名、女子35名が参加した。

<初日予選通過者>

男子PEREIRA Andy(Cuba), CAMPOS Jorge(Cuba)

女子DIAZ Adriana (Puerto Rico), RUANO Lady(Colombia)

<2日目予選通過者>

男子AFANADOR brian(Puerto Rico), MADRID Marcos(Mexico)

女子KUMAHARA Caroline(Brazil), GUI Lin(Brazil)

<3日目予選通過者>

男子TSUBOI Gustavo(Brazil)

女子SILVA Yadira(Mexico),ARVELO Gremlis(Venezuela)

男子:ブラジル2名、キューバ2名、プエルトリコ1名、メキシコ1名

女子:ブラジル2名、プエルトリコ1名、メキシコ1名、コロンビア1名、ベネズエラ1名

卓球後進国の中南米は世界レベルに比較し技術レベルが低く、また遠距離の大会も経済的余裕がない為、卓球先進国の様に世界ランキングを上げるための国際大会には殆ど参加出来ません。 アメリカ大陸内の各地域大会(南米大会、中米大会、カリブ大会)、中南米大会、パンアメリカ大会とそれぞれの大会で上位に入ることを目標に練習しています(代表者の半数は欧州で訓練しているが…)。

オリンピックに参加する為に、世界ランキングで一喜一憂することなく、アメリカ大陸の一番大きなパンアメリカ大会の成績で最終予選会に臨むことが出来るからです。

自力で掴む厳しい目標だが、決して良い環境でない中でも、卓球に人生を掛けている選手達に拍手を送りたいと思った中南米予選会でした。

 

キューバの合宿

今から3年前(2013年3月)コスタリカで中米競技会(4年に1度開催)が、首都サンホセで行われました。コスタリカ・オリンピック委員会からの要請で2012年9月に赴任後、国内外の成績や各クラブから選抜した選手をナショナルスポーツセンターで指導し、徐々に代表選手の絞り込みが出来つつありました。

年が明け代表候補の選手と共に、キューバの首都ハバナで合宿をしました。社会主義国のキューバは資本主義諸国と国交が少ない中にも関わらず、明るく自由な雰囲気が街中に漂っています。

キューバと言えば音楽のサルサが本場で、ラジオから流れるサルサを聞き練習場とホテルの行き帰りに聞けるのが楽しみのひとつでした。

キューバでの合宿はナショナルスポーツセンター内の卓球専門の訓練場を提供されましたが、中南米諸国からの合宿にも良く使われるとのことです。この合宿期間中にもペルーの少年チームやチリのパラリンピック出場者が合宿に来ていました。

コスタリカ国内の練習では、練習の参加時間に余裕が無いため、ランニングや厳しい練習が出来ずにいたので、充分訓練が出来ました。中でも合宿期間中は、日頃出来ない「朝食前のトレーニング」を実施出来ました。早朝の薄暗い時間帯に準備体操、ランニングを行う習慣がない選手達でしたが、2~3日後には慣れだして10日間充実した訓練が出来ました。

キューバにはスエーデンで訓練する選手もいて、ロンドンオリンピックにも出場しました。カリブ海では上位に入るキューバは、活動予算が少ないため海外の試合には限られた大会にしか参加できませんが、卓球に懸ける思いは意識が高いと実感しました。

そんなキューバ選手達からコスタリカの選手達も良い刺激を受け帰路に経ちました。

-つづく-

 

コスタリカでの指導

2012年9月~2013年3月迄コスタリカのナショナルチームを指導した時のことです。  オリンピック委員会からの要請は、2013年3月地元で開催される4年に一度の中米競技会に向けた卓球競技の強化が目的でした。 短い期間に選手選考と強化が急務とは言え容易ではありません。中米コスタリカもブラジルを除く他の南米諸国同様、18才を過ぎるとそれまでの代表選手が卓球から離れて行くからです。 有望だった選手が大学に行き練習時間が少なく成り、卓球では生活できないからと就職し、試合に出場する事もままならず、この様な状況から代表選手を決める選考にも苦慮します。

少なくとも25~6才まで継続して練習出来れば、ナショナルチームの選手として強化も出来るが、この環境の違いが日本とは大きな差でもあります。 卓球に没頭できず、集中して訓練する時間が少ない事が大きな問題でした。

嬉しい事に中南米どこの国でも卓球が好きな子供が沢山います。コスタリカも指導者が少ない地方の小さな町でも、多くの子供たちが卓球を楽しんでいます。 この様な時期と環境でしたが、将来性のある選手を見つけることが出来ました。 常々心掛けている事ですが「卓球」を選んでくれた子供達に、技術面だけでなくマナーやルール等も指導する事ができました。

10才~16・7才の有望な選手を強化出来る体制が有るか否かはその国の大きな問題です。継続して強化体制が組めれば将来が明るくなり、有望な選手、強い選手が出てくるのを待っている状況だと夢が有りません。 短期間の指導でしたが将来に向けた強化が必要なことは言うまでも有りません。

勿論、中米競技会の代表選手の選抜も並行して行いました。日頃の練習量と練習に取組む姿勢、国内外の成績、代表に相応しい自覚ある選手を選抜することです。 コスタリカでは初めて海外からの指導者を受入れ、コーチや選手は戸惑っている様にみえました。 活動内容は次回以降に。。。。!

今回紹介する人達は、コスタリカの卓球協会会長はオリンピック委員会の役員としても活躍。 日本人の奥さんを持つ柔道出身のオリンピック委員会会長は、真摯で精力的にコスタリカのスポーツ発展に尽力されています。 2018年アルゼンチンで第3回ユースオリンピックが開催されるが、オリンピック委員会会長がシャララ元国際卓球連盟会長と共に大会組織委員会のメンバーに抜擢されています。

-つづく-

左:コスタリカ卓球協会会長   右:コスタリカオリンピック委員会会長

アルゼンチンの日系人

<2000年6月アルゼンチン日系社会が一丸と成って編集された移民史>
2008年アルゼンチンを指導するため首都ブエノス・アイレスに赴任した時のことです。日系社会の憩いの場として、スポーツ、文化活動、会議施設、日本レストランなど幅広く現地人も利用できる日系社会の中心的な場所の沖縄県人連合会館(COA:Centro Okinawense en la Argentina)でのこと。
赴任直後ここで指導する機会があり、当会館の関係者から名前を聞かれ”ナカンダカレです” ”はい ナカンダカレさんですね” といとも簡単に、聞き返されることなく名前を呼ばれたことです。 それもその筈、アルゼンチンには約4万人の日系人が在住し、その8割が沖縄県人だったことを知りました。名前を伝えた後の応対が大変でした。”ウチナンチュウ(沖縄の言葉)を話せるか? どこの村出身?” 残念なことに大阪で生まれ育った為、受答え出来なかったことが思い出されます。
1886年に日本人が初めてアルゼンチンに定住から今年で130年経ちます。南米への移住政策ではブラジルを筆頭に、ペルー、ボリビア、パラグアイは有名ですが、首都ブエノスアイレスを中心に日系人が沢山住んでいることには驚いたものでした。 赴任直後COAでの個人的な活動から多くの友人が出来、そのお蔭で在任中の計4年間(2年間の指導を2回)は大変有意義な活動ができました。
ナショナルチームを指導するにあたり卓球連盟と強化方針を検討する中、それまでの女子選手の扱いは実力に比例し中南米以外世界的な大会に派遣されず日の目を見ない状況でした(男子シニアはブラジルと肩を並べる実力)。 この様な時期の「21歳以下の強化方針」には当然女子も重要強化に加えました。
卓球連盟の支援もあり女子選手のモチベーションが上がってきたころ、ITTFプロツアーに参加する日本チーム(村上監督、王子コーチ、平野早矢香選手、森園美咲選手、羽生綾子トレーナー)を「アルゼンチンに立ち寄って頂きたい」旨、卓球協会専務理事に依頼したところ快諾されました。
アルゼンチン卓球史上始まって以来の日亜親善試合が開催できました。 親善試合の会場はCOA沖縄県人連合会館で、行事を成功させるために日系社会から心温まる支援があり、日本人の血の繋がりに感激したものでした。
2~3日の滞在だった日本卓球チームとの一部分の行動を紹介でき、現地で力強く生活する日系人に少しお返し出来たかなと思いました。
遠く離れた地で現地の生活や習慣に同化する中、日本の良いところ・日本人の心を継承したい思いで生活される日系人が忘れられなく書き留めました。

第二回 荻村さんの夢

12月11日~13日の3日間「ITS三鷹」織部代表の企画で、昨年に引き続き “第二回荻村さんの夢「スポーツは世界をつなぐ平和運動」” が行われました。同時代に活躍された松崎キミ代さん始め、当時活躍された日本選手のチャンピオンの記事や写真等も展示されたこの行事をITTF(国際卓球連盟)のホームページに紹介されました。ITTFで働く榎並さんと同僚でスリランカのリラさん(ITTFの仕事をしながら筑波大学で勉強している人)の素早い対応で発信されました。

内容は次のURLで確認できます(ITTFのホームページでも見れます)。
http://ittf.com/_front_Page/ittf_full_story1.asp?ID=42569&Category=s%5Fclub&Competition_ID=&

初日は荻村さんがITTF会長時代に、南北朝鮮統一チーム「コレア」を1991年千葉世界選手権参加に尽力された平和運動はあまりにも有名ですが、統一チーム「コレア」結成から女子団体決勝で中国を破る迄の46日間を映画化した物語です。日本語タイトルは「HANA(一つの意味)」ですが何回見ても感動する映画です。

2日目はTV番組「知ってるつもり」で紹介され、Youtube の “ピンポンさん 荻村伊智朗” で下記のURLからも見る事が出来ますが、卓球人として我々日本人が世界に誇れる偉人の歴史を知る良い機会でした。
https://www.youtube.com/watch?v=2sewNWpeak8

3日目の最終日は、僕のトークコーナー「私の南米卓球指導7年間」でした。
定年後は中南米のどこかで “素晴らしい日本伝統のスポーツ「卓球」” を伝えたい夢を強く持ちました。その夢が叶ってアルゼンチン、コスタリカ、チリの7年間の活動報告ですが、思いは1991年から3年間パナマに駐在した時代にさかのぼるものです。
仕事の余暇を活用し、素朴で純粋なパナマの若い仲間と「卓球連盟の運営について」一緒に考え活動したものでした。当時の青年が20年後に再会した時、パナマの会長に成っていたのも嬉しい思い出でした。

7年間の指導信条は「心・技・体・智」を指導方針として、真摯のスポーツ「卓球」の素晴らしさを伝え、世界に目を向けて欲しいと伝える事でした。 直ぐボールを打ちたがるラテンの人達に精神面を鍛え(ルールを守り、人に感動を与えられるプレーや行動ができ、粘り強い気持ちを持続出来る 等)強くなる選手として如何に大切かを伝え、理解して貰うことが大変だったこと。 考え方の基本、練習内容や勝ち方の基本を伝える時、年令・技量・知識等々でレベルの低い選手が理解できない事も多い為、指導者に理解して貰う講習会や全国を巡回指導(1週間~10日間の合宿)したことを話しました。

トーク最後の質疑応答で「日本が中国に勝つ為にはどの様に考えていますか?」の質問に「日本のトップが中国のトップ4~5人(団体戦メンバー)に勝つためには、国力を上げて強化する事が必要で、選手個人々々の技術調整・強化は当然だが、日本国内に中国選手のコピーを作って練習相手が出来る体制、方法が不可欠と考える」旨応えました。 年齢の低い選手が世界で勝っているだけに、更に日本卓球復活の兆しが大きく成っているだけに一気に逆転出来ないものかと強く思いした。

行事最後のパーティーでは、書籍「ピンポンさん」の主人公上原さんを囲んで海外からステラン・ベンクソン(1971年名古屋大会世界チャンピオン)の息子始め、荻村さんに関係の深い方々が沢山参加されました。
海外のリラさんが発信してくれたニュースですが、我々日本人も日本卓球界の偉人荻村伊智朗さんの功績を風化させることなく、そして日本の卓球界で育った誇りと自信を持って行動出来ればと再認識させられた行事でした。

JICA記念式典

2015年11月17日「青年海外協力隊発足50周年」を迎えパシフィコ横浜で記念式典が行われました。   独立行政法人 国際協力機構JICA(ジャイカ) のシニア海外ボランティアで活動した関係から参加しまし た。

日本政府の重要な事業である「国際協力」の式典には、天皇皇后両陛下がご臨席され、JICAボランティア経験者や支援者など関係者約4500名が参加されました。安部晋三内閣総理大臣始め支援者の国会議員からお祝いの言葉が有りました。

式典の2部では先月設置されたスポーツ庁鈴木大地長官とスポーツのボランティア経験者のトークがあり、海外でのボランティア活動で「文化・習慣が違う人達との苦労話や活動を振り返って、現地の人達から沢山応援して貰ったこと、また教えられることが多かった」等々の話では、自分自身の活動にも共通した内容だったので共感できる部分が沢山ありました。

http://www.jica.go.jp/press/2015/20151117_01.html

スポーツ分野「たかが卓球、されど卓球」のボランティア活動をしてきましたが、日本政府と外国との民間外交の意義は大きいと考えてのことです。 1973年~1980年に開催したアジア、アフリカ、ラテンアメリカ(3A:スリーエー)友好卓球大会後、中国がアフリカ全ての国にコーチを派遣したと聞いていますが、中国・アフリカ諸国の関係ではその効果は小さくないものと思われます。

会場は2009年横浜世界選手権大会の開会式と同じ場所で行われた式典でした。

2020年東京オリンピックに向けたスポーツ分野への取り組み(勿論、多種のボランティア活動での「国際協力」の必要性も唱えられていましたが….)スポーツの強化と受け取れた2部の構成でした。若い選手が育っている日本卓球界の大きな前進を期待したいものです。

因みに、記念事業として製作された「クロスロード」の映画が公開されました。

http://www.jica.go.jp/topics/2015/20151102_01.html

是非、見たいと思います。

 

チリの思い出-1

南米チリで2年間「卓球指導」のボランティア活動を終え9月30日帰国しました。使い慣れたスペイン語から少しづつ遠ざかる思いです。日本に戻っていつも思うことは、スペイン語の生活から日本語での生活に変わることです。

近くで話す人達の会話、場内・車内等のアナウンス、テレビ、ラジオ、電話、メール、書籍、看板、目に留まる店々等 意識しなくても難しい言葉以外は何の違和感もなく耳・目から自然に入ってくるためスムーズに生活が出来ます。

現地の生活では日本との違いに複雑な気持ちに成る事がありました。

海外生活の経験がある人なら解るでしょうが、その国の文化・歴史等が解らないと文全体の意味が理解できないことが有ります。

例えば “ディエスオーチョ” は数字の18の意味ですが、このディエスオーチョの言葉だけで9月18日独立記念日で建国を祝って全国で大々的に賑わう行事を指します。「ディエスオーチョだからスーパーやレストランは全部閉まるので、買い物は済ませておく」のだとか…。

ゴミも日本と違って毎日捨てられることです。ゴミの分別がまだまだ日本ほど厳しくなく缶・ビン・ペットボトル以外は全て生ごみと一緒に出せるので、地球環境には悪いが大変便利でした。

WIFI受信。アルゼンチン同様チリ国内の殆どの店で受信出来ました。今ではインターネットは欠かせない情報ツールですが、遠く離れた地方の巡回指導先でも受信でき、自宅のあったサンチャゴや日本にも直ぐに繋がる需品でした。逆に日本でWIFI電波が受信できない場所が多いのに驚きました。スターバックスが唯一安心してPCが使えました。色々な事情があるにせよ、日本の電波受信システムが不可思議です。

最後に自然現象で欠かせない公衆トイレの話です。日本なら公園や人が集まる場所には必ずトイレが有り安心でしかも無料です。チリは公衆トイレが少なく長距離用バスターミナルや中央駅構内の大勢集まる場所でも有料です。流石、大型ショッピングモールは無料ですが大勢の人達が活用していました。

生活する国の歴史や文化、習慣を知れば現地の人達との交流がスムースに成り、深く相互理解が出来ると思われました。今回も現地の友人・仲間達から多方面に亘って支援を受け2年間楽しく過ごせました。

自作の指導書

上は、練習の説明用に準備した内容。

下の写真は、練習内容とその意味を説明

いよいよチリでの活動も今月で終了です。中南米(アルゼンチン、コスタリカ、チリその昔はパナマ)への思い入れは遥か昔の駐在時代からと成ります。

ラテン・アメリカを何とか世界の標準レベルに持ち上げたいと思い色々模索しながら指導して来ました。勿論、技術だけではありません。卓球と言う紳士のスポーツにおいて、如何に世界標準的な言動(簡単に言えばルールを守ったり、選手やチームのマナー等)が出来る様にするかが指導の中心です。

技術的な発展の要素は、その社会的背景や指導者の考えにも大きく影響され、なかなか世界に目が向きません。そんな中でも、世界を夢見る指導者や選手達には「世界の標準とは何か?」を伝え、特にレベルの低い選手や指導者には退屈で理解できない事ですが、「基本的な考え方、基本的な練習方法」をベースに指導信条である「チャンピオンへの道」そして「心・技・体・智」のそれぞれの要素が理解できる様、テーマ毎に指導書を先ず日本語で作成し、スペイン語に翻訳した後、ホームページで情報公開したり、合宿や講習会、大会前の指導にもこれらの資料を活用して来ました。

今回のテーマは「準備運動と整理体操」ですが、ブログのコーナーとしては長く成りますが、そのまま掲載したいと思います。A4版で2枚の日本語資料ですが、この内容を見るだけでもチリのまたは中南米のレベルが伺えると思います。

写真は準備運動の一コマ

準備運動と整理体操 1/2
2015年8月 仲村渠 功

スポーツを始める時は、一般の人でも当たり前の様に準備運動をしてから行動します。
好きな事を行うのに「怪我をしては大変だ」と知っているからです。明日もそしてこの次も継続して活動したいと思うからです。

私達の様に「ある大会のチャンピオンに成る」目標を持った意識の高い選手に於いては、効果的な練習・訓練を行うために、充分な時間を掛けて準備運動を行う事は当たり前の行動です。

1.急に心臓に負担を掛けず、体の筋肉をほぐして徐々に血の巡りを良くする。
2.準備運動の中に卓球に必要な筋力の維持と基礎体力の強化を含めます。
卓球競技に必要な筋力とは「持久力・バランス・瞬間的スピード」を中心に、「柔軟性」を高めた種目を毎回の準備運動に入れます。個人差により他の筋力強化は別の時間帯で行います。

大好きな卓球を「故障で続けられない」程、悲しい事は有りません。ましてや自分の不注意や知識不足で怪我をして練習できない程、馬鹿げた行為は有りません。
卓球と言うスポーツを「甘く見ない、軽く見ない」為にも、ましてや「チャンピオンを目指す選手」なら当然の行動として、常に“頭と心を新鮮に”そして前向きな活動を心掛けて行う「準備運動と整理体操」に時間を掛ける必要があります。

15~20分前後の準備運動で心肺機能も高められ十分その目的が果たせます。
練習後も使った筋力をほぐし、次の練習にも“怪我も無く心身ともに充実した活動”が出来るからです。

1.心と技術を高める第一歩
準備運動では心臓や筋肉の動きを活発に、そして怪我の予防と筋力の維持・強化を目的に「心肺機能」を高めてから練習に入る意義は理解できたと思います。

更に、これから始める練習前の健康チェックを行う目的もあります。
個人々々の基礎体力が違うため、準備運動で「心肺機能」を高めた結果を確認する為に、全ての運動が終わった後、各選手の脈拍を測定します。

共同生活や合宿期間であれば、ある程度各選手の健康管理は把握出来るが、自宅から通ってくる普段の練習では個人々々の健康管理(睡眠時間、食事の状態、心の変動や生活習慣)を知る事は難しいからです。
その為に脈拍数の結果から個人の健康チェックをするのですが、何かの原因で脈拍数が多すぎる時はその理由を聞いて練習を休ませます。危険だからです。“睡眠時間が少なかった”“食事を取っていない”“精神的な不安定からやる気がしない”等々いろいろ理由があります。
また、脈拍数が低すぎる場合は“体力が付いてきた”の判断から、運動の一部を追加で運動させます。
そして次回からは“回数”を増やし、更なる体力強化をしてレベルアップしている事の説明をします。
一方、 “不真面目に運動した結果、脈拍が少なかった” ことも考えられます。この様な選手には「自分の限界に挑戦する」事を指導をします。

2/2
この様に毎回練習前に健康チェックをする事に依って、各選手の健康管理が出来るだけでなく、選手自身が練習に向き合う精神状態が変わってくることも大きな行動です。
精神を集中させ準備運動する事で、怪我が無く、基礎体力の強化の目的が果たせます。

2.体力強化と技術面のサポート
準備運動の中で、卓球に必要な動きを取り入れます。大きな動きで打球した後も体のバランスが崩れず、しかも全体重を一つの足で支えられ、更に次球に備えた動きを俊敏に備える動きや、柔軟運動では “1㎝” 多く飛べたり、腕や体を伸ばせた結果、今まで返球出来なかったボールが返球できたとか、足の移動(フットワーク)では体の中心がぶれることなく重心の移動がスムーズに行える動き等々、柔軟性を含めた基礎体力と筋力強化を準備運動に取り入れます。

選手個人々々の筋力強化については、大会が無い時期や休暇が長い期間にじっくりと筋力強化を図ります。試合期間中であっても上記説明の様に徐々に体力強化も含んでいます。

本来なら選手個人個人が時間を見つけ、全てのスポーツに必要な持久力をつける為に、ランニングを毎日欠かさず行うことが必要です。選手の年令、体力等に依って、又は目指す目標に依って走る時間やスピードの調整は必要ですが、少なくとも毎日休むことなく、目標に向かって走り続ける事が第一です。

ランニングでは精神面で「負けたくない」「諦めない、粘る精神力」や、長い時間行われる卓球競技の試合に於いても、常に「頭の中が新鮮で、準備した作戦や試合中のひらめきにも対応出来る」し、効果が大きい「スタミナ」が鍛えられます。
中国選手の太ももを見れば直ぐに理解できる様に、如何に訓練して大会に臨んでいるか解ります。

3.今後「チャンピオンに成る」為に!
準備運動も十分に出来ない選手が、試合に負けると「すぐ泣く」行為を良く見ますが、日頃からの訓練の姿勢を正す事で、泣き方も変わります。練習で泣いて、そして優勝して泣ける選手に成りたいものです。
この様な大切な準備をしないでただボールを打つ選手や、準備運動の大切さを指導できない指導者を多く見ます。

今まで僕の練習や合宿に参加した選手なら直ぐ理解出来る事ですが、この様な「スポーツの訓練の基本中の基本」を正しく出来れば、直ぐに南米だけで無くラテンアメリカそして世界の舞台に出ても立派に行動が出来ます。

恥ずべき行動とは「その国、そのチーム、その選手」の心構えや知識が不十分で、準備運動も十分に出来ない行為は、スポーツを知らない一般の人からさえレベルが低い事が簡単に解ってしまう事です。
準備運動から精神を集中させ、心肺機能を高め、意識の高い、効果のある訓練をし、そして整理体操を充分に行って、次の練習、明日の練習に精神を集中させてください。

次のテーマは、「練習場と大会会場での練習内容とその方法について」と 「反省の仕方・分析の仕方・そして練習課題の見つけ方について」です。

以上  Vamos Isao!

日本の世界チャンピオン

前回、許招発さんとの懐かしい再会を書いたところ、コメント欄に当時を思い出させる解説を頂きました。オールドファンもブログを見て頂いてると思うと、「今どき風の短いコメントやつぶやき形式、日記形式でなくても良いのだ」と気を取り直しました。 そこで、前回に続き古い話に成りますが、同世代の先輩・後輩の世界チャンピオン達と一緒に行動していた頃「何故チャンピオンに成ったのか?」と思い起こしながら(ラテン情報ではありませんが….!)その特徴を書いてみようと思いました。

当時の世界選手権は団体戦・個人戦を10日間で行っていたので、技術だけでなく体力・精神面を鍛えて大会に臨むということが如何に大変かを体験したものです。その様な時代の話ですが、世界選手権日本代表合宿の練習相手として何回も参加し、また国内外の試合で一緒に参加し感した元世界チャンピオンに対し、簡単に表現しきれないのは当たり前だが僕なりの見方で書いてみるとこの様に成ります。

1967(ストックホルム)長谷川信彦:右シェークハンド一本差しグリップで、粘り強いフォアハンドのドライブとロビングで相手を崩し、3球目攻撃にはジェットドライブと言われたフォアハンドで、バックストレートを打ち抜く技が得意だった。

1969(ミュンヘン)伊藤繁雄:右ペンフォルダーで全面をまさにオールフォアでカバーするかの如く動き回り、バックサイドからシュート回転の豪快なスマッシュを打つ技が得意だった。

1977(バーミンガム)河野満:右ペン表ソフト両ハンド攻撃。中国の速いショートや回転量の多い欧州のドライブに対し、両ハンドでナックル気味に打ち返す技術で相手を崩し、フォアハンドの連続スマッシュで畳み掛ける技。

1979(ピョンヤン)小野誠治:左ペンホルダー。アップ&ダウンのバックハンドサービスから3球目攻撃でループドライブでリズムを崩したり、数本のドライブ攻撃で相手を守勢に追い込み、またショートのブロックを駆使して、得意のカミソリ・スマッシュで得点する技が得意だった。

それぞれの技を大舞台の決勝で使えた事実。一発必中の決定球を打つ為に、相手を崩すサーブやレシーブ技術、守備でもブロックしながら厳しい場所への返球や相手のミスを誘うボール(スピード、回転、コース)で返球し、得意な決定球を使える技はやはり世界チャンピオンとして、誰にも真似出来ない技術を使えた結果だと確信出来ました。

この様に歴代世界チャンピオンの共通点は、常に相手にプレッシャーを与えられる武器で試合をを有利に運んでいることだったのかな?と思える。
「中国に勝つ技術があるのでは?」と思う事を含め書いてみました。

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