ユニークな指導

前回の「恩師を忍ぶ」で紹介できなかった思い出深い事柄を記録しておきます。

今から50年前の訓練内容ですが、“発想の自由”と“独創的な考え”を重視したユニークな指導が思い出されます。

体力トレーニングがバラエティーに富んでいました。長距離のランニングが多かったのが思い出されます。体育館の扉を開けると直ぐ目の前が400メートルのトラック。ここを活用するコース。学校から少し離れた場所の精神病院の施設の裏山をクロスカントリーするコース。流石このコースでは、先を走る人の背中が見える距離を必死の思いでついて行くのがやっとで、その場所を走り去った後は心が弾む気分だったこと思い出します。

棒高跳び、走り高跳び、走り幅跳び、砲丸投げ、円盤投げも体力トレーニングのメニュの一つでした。
ソフトボールを使った守備練習では、ボールを投げる方向に体の正面と足のつま先を向ける(体の向きと足の使い方は、決定球を打つ時に応用)。
バスケットボールでは、パスの練習で腕力を鍛え、コート内のサークル部分を使った鬼ごっこでは敏捷性やバランスを。 ゴルフのスイングで重心の移動を。 ボクシングでは、パンチが目に当たらない距離(5cm位手前)を図った上で、パンチを出して貰い「目をつむらない、体を緊張させない(肩の力を抜く)」訓練。卓球の応用には台上又はネット際のボールを体全体を大きく使って打つことに依って、「相手に脅威を与え、腕や肩に瞬間的に力を入れさせる」効果があることにも応用。

マット運動(柔軟性、バランス)。縄跳び体操(バランス、瞬発力)。
筋力トレーニングでは(今ほど整った鉄アレイや器具も無く)、手製で改良したものを使った方法。自転車のゴムチューブを使い、1~2m後方から台に飛び込む瞬発力の訓練。歩行中や電車の中でもかかとを付けず歩くバランス訓練。車窓に見える電信柱や看板の文字を、頭を動かさず眼だけで追う・読む訓練。

技術練習ではネット際から卓球台の2~3m後方までの距離を5~6回大小のフォームを使い分けて移動する基本打法の練習。俗称「アコーデオン練習」だったり、今でこそ当たり前になっている「多球練習」もこの時代に取り入れてやっていました。
特に、体力面の強化も兼ねた内容が中心でしたが、卓球台を横にし、ネットの位置に半分の卓球台をセット(通常の2倍以上の広さ)して大きく動いての「飛びつき・回り込み」や「連続強打」の訓練です。

台風や悪天候で練習できない日以外、基本的に365日の練習でした。
月曜日は体を休める訓練日として設けられ、知識面で孫子の兵法、栄養の話、筋肉の話、興味のある話を。又、いつ提出していたか忘れましたが、多分金曜日提出した卓球日誌に先生からのコメントが書かれた日誌を返却して貰える日として、空いている教室で行いました。その後、ユニフォームに着替え、体育館で選手同士行うスポーツマッサージをする日です。 色々と経験しました。

ユニーク (ほかに類のないさま。独得。独自。ユニック。「~な考え」:広辞苑) な発想は、楽しいものだとこの時代に感じたものでした。

恩師を忍ぶ 

高校時代の恩師が先月81才で永眠されました。今こうしてチリで卓球指導の活動が出来るのも、恩師馬渡秀人先生が大きく影響していることは言うまでもありません。勿論 その後も素晴らしい方達との出会いがありましたが、僕の卓球人生がスタートした原点でした。

60才の定年を機に独立行政法人・国際協力機構「JICA」のシニア海外ボランティアの公募を受け、合格が決まって活動直前の2008年3月、NHKラジオ深夜便”ないとエッセー”の番組で「あざやか!卓球人生」のタイトルで4夜連続放送した時にも先生の話をした事がありました。

今から50年前、高校の部活で先生と出会った時はカットマンで、8ヶ月間訓練したカット守備型から攻撃型への変更を言われました。当時指導を受けていたバックカットで、左から右に曲がるカットが上手く出来ず、肘が変形しているため右から左に曲がるカットが良くないとの事でした(今なら癖のあるカットとして効果ある技術です)。 変更のもう一つの理由は、ストップされた台上のボールをバックハンドで打つのが得意だったからです。当時の日本の卓球はペンホルダーが主流でフォアハンド主体型が殆どで、シェ-クハンドはカット守備型と決まっていた頃の時代です。カットから前陣両ハンド攻撃に変え全日本選手権ジュニアの部で優勝でき、更に卓球人生の方向が決って行ったように思えます。

東京教育大学時代は教育学部の体育を専攻され卓球部に所属し、カットマンだった先生は全国教職員大会にも出場していました。学生時代は関東学生リーグのクラスこそ違い、同年代だった荻村伊智朗さんの事も良く話されていました。そんな馬渡先生の指導の発想は大変ユニークでした。

先生から受けた人生の教訓はこれからも受け継いでいきたいと思います(合掌)。

コロンビアでの大会

6月22日~28日コロンビア・メデジン市でジュニア/カデット中南米選手権が行われました。大会レベルは中南米をリードするブラジルを含めまだまだ世界の標準レベルから遠い位置にいるのが現実ですが、徐々にその差も近づいている機運が伺えます。この大会は世界ジュニア代表決定戦も兼ね白熱した試合を見る事ができました。最近まではブラジルとの差がありましたが、力を付けてきたアルゼンチン、プエルト・リコ、ベネズエラ、ペルー等がブラジル選手に勝つ事が多く、各国が切磋琢磨しているのが将来的にも非常に楽しみです。技術的には「台上処理や台に近い場所での攻防技術」等まだ開発の余地が沢山ありますが、それでもゲーム内容が良くなっています。

今回は過去になかった結果が出ました。
男子団体ジュニア・カデットは共にブラジルとアルゼンチンの対戦でブラジル。女子団体ジュニアはブラジルとプエルト・リコでブラジルでカデットはプエルト・リコがメキシコに勝ち優勝しました。団体結果ブラジル3、プエルト・リコ1の優勝です。2位はアルゼンチン2、プエルト・リコ、メキシコが各1が優勝しました。個人戦5種目10の優勝に対し、プエルト・リコ4、アルゼンチン3、べネズエラ2、ペルー1がそれぞれ優勝し、ブラジルが0の結果となりました。
因みに、チリ男子ジュニアダブルスで優勝した後、ラケット検査(ラバーのルール違反)で優勝を剥奪され2位。団体は3位でした。

結果世界ジュニアへの出場権チームは、男子ブラジル・アルゼンチン。女子はブラジル・プエルト・リコ。個人戦も上位2名無条件出場(3位は北米選手権後の結果、世界ランキング上位の選手が獲得権を得ます)。

大会期間中FIFA世界サッカーが開催中で、団体戦決勝があった6月24日は日本対地元コロンビア戦。又個人戦最終日の28日は予選リーグを突破したチームの決勝トーナメントがスタートし、チリ・ブラジル戦、地元コロンビア・ウルグアイ戦が連続して行われ、コロンビアが史上初めて準々決勝出場を決めた試合では会場内が割れんばかりの大歓声が沸き上がりました。

卓球会場内でも大会運営メンバー、審判員、各国役員、それに会場内清掃係等々実況放送に熱中していました。サッカーが人気の中南米では大通りに至る所に仮設した大型TVを路上に所狭しと椅子を出し熱狂的に観戦して盛り上がっていました。

卓球の世界イベントも最近でこそ熱狂的な卓球ファンで盛り上がるので喜ばしい事ですが、サッカーワールドカップの様に子供から高齢者まで自国の応援に一喜一憂するようなスポーツになれると良いな!と若干羨ましく思えたコロンビア大会でした。

 

生活の知恵

チリの生活もあっという間に8ヶ月が過ぎました。海外生活の「衣・食・住」で一番苦労するのが「食」です。現地の食べ物に慣れる事は言うまでもありませんが、日本食文化に慣れ親しんでいる体は正直です。僕は現地の食べ物には無頓着なので平気ですが、嫁さんは日本食が必要です。

現地の各都市の到る所に中央市場があって、野菜、魚、肉、果物、調味料、その他諸々の備品や生活用品も売っていますが、住居近くの各地域にも小さな市場(フェリア)が立ちます。
勿論、大きなスーパーマーケットでは日本食に似た材料が揃いますが、以外に安くないのと永く生きてきた経験から経済観念を駆使し(発揮して?)、現地で調達できる材料を使ってやりくりします。

ここチリでも永く住んでいる日本人や以前のアルゼンチン同様に、移住した日系人との交流で現地の食材を使った日本食を教えて貰っています。

何もなかった時代の日系人の懸命の生活と勤勉さの中から編み出された知恵を出して作る様々な食べ物に感動しっぱなしですが、習いたての手作り食料をご相伴させて貰っています。

最近習った手作りの味噌、納豆、豆腐、たくあん、塩鮭、麹(こうじ)、その麹からもいろいろな物が作れ、わずかながら日本食が食べられます。

それにしても手作りする前に色々揃える材料や事前準備に時間が掛かるとのことだが、卓球の上達にも同じ事が言える様な想いです。

各種大会

国際卓球連盟(ITTF)では、今年5月アメリカ西インド諸島の「USバージン島(US Virgin Islands)」の加盟が発表され、220協会加盟でバレーボールと並び世界一の参加協会になった「卓球」です。 世界大陸毎の協会数はアフリカ(49)、アジア(45)、欧州(58)、ラテン(40)、北米(3)、オセアニア(24)で、今回のUS Virgin Islands加入で220です。US Virgin Islandsは位置的にラテン・アメリカのカリブに編入されるのが妥当でしょうが現時点では未定です。

ラテン(40協会)の内、3地域からなる連盟が中米(8)、カリブ(20)、南米(12)がそれぞれ国際大会を運営します。   中米はメキシコ/べリーズ/グアテマラ/エルサルバドル/ホンジュラス/ニカラグア/コスタリカ/パナマの8ヶ国。  南米はコロンビア/ベネズエラ/エクアドル/ペルー/ブラジル/ボリビア/パラグアイ/チリ/アルゼンチン/ウルグアイ/スリナム/ガイアナの12ヶ国。  カリブはドミニカ共和国/プエルト・リコ/キューバ/ジャマイカ/トリニダード・トバコ/アルバ/グレナダ/バルバドス等大会で見た事がある国々を含め20ヶ国。

チリが参加する大会には、ラテンアメリカ選手権が重要な大会で、3地域の予選を兼ねた選手権(中米大会上位3チーム/カリブ上位2/南米上位4/開催国1/推薦3ヶ国)が出場権を得ます。
それぞれの大会区分は[一般」「18・15才」「13才・11才」を別々に開催します。 例えば15・18才の大会では4月にブエノス・アイレス(アルゼンチン)での南米選手権結果ブラジル、アルゼンチン、チリ、ペルーが全カテゴリーで出場権を獲得、6月コロンビアで開催されるラテン・アメリカ選手権に参加出来ます。残念ながらチリは費用の関係で18才男女チームしか派遣されません。もったいない話です。

この大陸諸大会以外にITTFのジュニアサーキット(中米、南米)、プロツアー(南米)が過去開催されました。又、アジア競技会と同様4年毎に中米競技会(2013年3月サンホセ・コスタリカ)、南米競技会(2014年3月サンチャゴ・チリ)で開催されました。
更には、イベロアメリカ大会:南米諸国とイベリア半島ポルトガル・スペインでの大会。  ボリバリアンゲームズ:南米諸国(ベネズエラ/コロンビア/エクアドル/ペルー/ボリビア)で「解放者」と呼ばれるシモン・ボリーバルを讃えて始められた総合競技大会(ブラジル、アルゼンチンは不参加、昨年11月ペルーで行われた大会になぜかチリも参加)。  その他、アンデス山脈に接するボリビア/チリ/アルゼンチンの隣接都市だけで行われる都市大会。チリ・アルゼンチン南部パタゴニア地域で行われる大会等々、他にもあるかもしれません。

これら国際大会以外に、国内の各カテゴリーの予選会、通常の国内大会等目が回ります。 強化出来ないほどの大会数で、目が回るスケジュールの合間を縫って、全国の巡回指導(1回10日間)を目標に活動中です。 老体に鞭を打って卓球指導家は今日も行く! なんて???

最後に先日YouTubeで「ピンポンさん 荻村伊知朗」のTV放映された番組を発見しました。
卓球をする仲間が共有できる日本の偉人です。
下記のURLで是非、見てください。
https://www.youtube.com/watch?v=2sewNWpeak8

世界選手権2014

熱戦が繰り広げられた世界選手権が終わりました。日本チーム女子2位、男子3位の結果でしたが、一喜一憂しながら毎日ITTFのitTV放映で観戦していました。中国の強さが揺るぎないことも再確認できました。

関係者が今大会から何を学び、何が必要か?を分析・研究されていると思います。観戦しながら考えること多々ありました。なんと言っても「守備」が出来る選手は常にプレーに余裕があり、しかもその守備が台に近いところで出来れば、更に反撃の機会も多く自分の主戦武器で決定球が打てます。勿論、サーブで相手を崩し、レシーブでは相手の待ちを外し、3球目・4球目攻撃を有利にすることは今後も大きな課題でしょう。これらの技術の追求なくして向上があり得ないことは言うまでもありませんが、強い選手にはこの部分の違い又は勝てない選手との差を感じながら観戦できました。

ブロック技術からカウンター技術への展開・発展も更に研究の余地があります。空間、広域、打球点、スピード、回転量(無回転含め)等々の事柄を、1球のラリーの中にどれだけ組み入れて使えるかも永遠の課題ですが、用具・ルールが変わろうとこれらの基本的な考え・技術は永遠のテーマとして技術発展を観察するのが非常に楽しみでもあります。

チリは日本との時差が-12時間(夏時間)でしたが、4月26日夏時間の終了と同時にチリ全国一斉「夜0時に1時間戻し(夜11時)、通常の時差-13時間」になりました。現地時間に設定済みの電子機器(3台のパソコン、カメラ、ビデオ、時計類)を修正するのに時間が掛かりました。今までなら12時間マイナスなので日本より半日遅れ(朝と夜が逆)で修正しなくても良かったのですが、流石今回は通常生活するには修正が必要でした。

今回の世界選手権から各国選手・コーチ陣がしっかりと分析し次の世界選手権に何を持って参加するのか?新しい考えが生まれるのか?が楽しみです。 日本の大会スケジュールに合わせ生放映を観戦するのに、夜中に起きて見なければ成りませんでしたがこれでやっと通常生活に戻れます。

中南米選手の状況

世界との技術レベルや様々な標準(練習環境、用具、国際大会、選手の言動等々)から大きく離れている中南米卓球界の選手には強化する環境が厳しい状況に有ります。しかしながら、選手個人々々は現状の中でそれなりに懸命な努力をしています。

日本・中国等のアジア諸国、ドイツ・フランス・欧州諸国等の卓球先進国との大きな違いは、強くなればスポンサーが付き、世界ランキングのポイントが優先する国際大会に参加したり等が挙げられます。残念ながら中南米諸国卓球連盟の台所事情は非常に厳しく、サッカーに重点を置くあまり卓球に配分される予算が少なく、その運営は選手強化に十分な資金が回りません。

社会的環境にも大きな差があります。今でこそ日本の卓球選手は強くなれば優遇される環境にありますが、40年以上前の日本でも現在の中南米諸国に似ていました。ある年令迄情熱をもって活動していても「卓球では生活できない」「夢や希望が持てない」と良く聞きます。日本と違って選手達は各地域のクラブに所属し、クラブの運営が優先されるため選手への強化資金が十分にありません。大学に入って練習する時間が少なくなり、生活のための仕事、友達との友好関係にも心が揺れ、それまで集中して取り組んだ卓球活動から興味が薄れてしまう現実があります。同じスポーツ選手でもサッカーが盛んで、プロもあり、上手に成れば生活が安定する等の夢もあります。使われる予算や報道・記事等社会的にも卓球とは扱われ方が違うことも影響しているのでしょう。

最近では年少に力を入れ出し、早いうちに強くなって18才までに子供との夢を託したい親が多くなってきました。南米大会では数年前から11才、13才以下の大会が行われ、南米の一部では9才以下の種目も定常化してきました。
日本の女子13才ペアーが一般のITTFプロツアーでお姉さん達を撃破し連覇した事にも驚きましたが、中南米ではせめて18才以降の選手強化が難しいのであれば、この年代層に力を入れたい気持ちは痛いほど理解できます。

パナマ駐在時代の仲間(現パナマ卓球協会会長)から携帯のビデオを見せて貰いました。10才のパナマ選手がITTFの中国強化合宿に招待され、現地指導陣から「将来ラテン・アメリカでチャンピオンに成り、世界でも活躍出来る素質がある」と太鼓判を押されたと嬉しそうに話していました。
中南米どこの国でも良いので世界に飛躍する選手が出てくることを望んでいます。チリでもこの様な選手と巡り合える機会があれば楽しみですが!

久し振りのブエノス・アイレス

2012年6月アルゼンチンで4年間の指導(JICAシニア海外ボランティア活動)を終え、帰国してから約2年経ちました。そのブエノス・アイレス(BsAs.)で4月12日~16日ジュニア・カデット南米選手権が開催され、終了翌日17日~20日までITTFジュニア・サーキットが引続き開催中です。中南米では各国卓球連盟の運営を考慮し、又多くの国から参加できる様一度の派遣期間中に複数の大会を開催するのが恒例になっています。

ITTFジュニア・サーキットへの参加には、各国卓球連盟が費用(旅費、大会参加費、宿泊費等)の負担できるか、または個人が負担するかで参加数が左右されます。卓球先進国と違うところは、強化方針がしっかり組まれているか、選手の母体から援助が受けれるかで大きく違います。
チリの参加選手は、残念ながら南米選手権に参加した16名(各カテゴリー男女4名)の内2名しか参加しません。折角、中南米以外の選手と対戦できる国際大会、ましてや日頃の訓練の成果・将来の方向性が確認できる貴重な国際大会だけに残念な参加者数です。

ブエノス・アイレスと言えば、昨年2020年オリンピック開催国で「TOKYO」が決定したシーンを鮮明に思い出される事と思います。日本国民がかたずを呑んで見守った場所です。
BsAs.大会期間中、専用バスの車窓から見慣れた街並みを見て住んでいた頃よりきれいになっています。100m毎の碁盤の目の道路は非常に分かり易いが、更に全信号機の下に道路名の標識が掲げられ、また通りの中央分離帯も整備されきれいな街並みになっていました。BsAs.のシンボルである道路幅が140m、16車線と世界一広い「7月9日通り」には、市内バス専用の停留場が新設されていました。現BsAs.市長がホスト国として各国オリンピック委員会関係者を受入れるため市内を整備したとの事でした。

オリンピック開催国最終決定の会場がBsAs.で終了した後、諸々のスポーツ運営とその活動等が評価され「2018年ユースオリンピック」が当地で開催されることが決まりました。4年後に向けアルゼンチン卓球がにわかに活気を浴びています。

7月9日通り(半分の車線が反対側に!)

寿司

ユネスコ無形文化遺産に「和食」が登録?の情報もある中、それとは別に日本食はどこの国でも食することが出来ます。

南米でも日本食高級店から一般家庭料理的なものまで数々あって、現地の日本人駐在家族には欠かせない日本食レストランが多いです。

サンチャゴにはデリバリー専門の寿司店が氾濫していますが、今回南部都市Coyhaiqueコジャイケ市(巡回指導期間3月19日~29日)に、市内で3件目に出来た新しい寿司店に入りました。

チリと言えば日本にも輸出されている鮭が有名ですが、鮭をベースにした巻寿司が多く、具にはチーズを入れるのが当地の好みらしいとかで、日本人には抵抗あるかも知れません。

鮭が沢山使われ右の白い具がチーズ・これらがチリの寿司です。

因みに、Coyhaique市はチリ国内一の広大な面積を持つ地域に人口5万人と少なく生活するには厳しい環境ですが、市内を出て山川等の自然を求めて観光客が沢山訪れるとの事でした。

こんな小さな町にも卓球の強化を考えてくれる人達がいて指導のし甲斐がありました。

空港へ向かう途中遭遇したチリのガウチョ(カーボーイ)

南米競技会

4年に一度開催されるODESUR(オーデスール)がチリ・サンチャゴ市で開催中です。卓球競技は3月11日~16日迄。大会2日目の12日男子団体決勝でアルゼンチンがブラジルに3対1で勝ち優勝しました。過去何回となく勝ちそうで勝てなかった相手だけに優勝の瞬間は観客を感動させました。準決勝ではチリに3対0で勝利。

男子同様4年間指導してきた気になるアルゼンチン女子チームは、準々決勝でチリに3対2の激戦で破れました。日本で修行したアグスティーナ・岩佐が5番ラスト・セットオール11-8の惜敗でした。女子決勝はブラジルがチリに3対0で楽勝し順当な結果でした。後半の個人戦に入りましたが南米大会も熱い戦いが続きます。

この大会には中米のパナマがコロンビアからの独立国として参加出来るらしいとのことで、パナマ駐在時代の教え子(現卓球連盟会長)もオリンピック委員会メンバーに同行し、予想外の再会が出来ました。スリナム共和国が南米大会卓球種目に参加している事を初めて知りました。

日本では3月11日は東日本災害の3周年を迎え、現地では大統領の就任式が行われました

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