選手選考

世界卓球2014東京大会の代表選考では、日本始め中国でも厳しい選考が行われています。それぞれの国の代表選手決定にはその国の方針が読み取れますが、中南米諸国では世界選手権に参加する国が限られています。予算が無いから参加できない。技術レベルが低すぎるから参加しない。予算あっても連盟の運営方法に問題があって選手に夢も与えられず参加しない。この様な話を聞くと「何とか出来ないものか」と複雑な心境に成ります。

アルゼンチン時代、男子優先運営の中に飛び込み、女子強化と様々な改善提案から連盟の方針・運営が改善され、最近では世界選手権に男女(団体、個人共に)代表選手が派遣されるようになりました。 残念な事に、チリは世界選手権にチームを派遣しない方向です。

1988年ソウルオリンピック大会以降2016年リオ・デ・ジャネイロ大会で8回目を迎えます。大陸代表の選考基準が厳しい中、誰が代表権を勝ち取ったか興味が湧きます。オリンピックに卓球種目が採用されたお陰で卓球認知度も増しています。他方、ITTF国際卓球連盟も普及活動・強化対策を積極的に行い、発展途上国のアフリカを含め中南米での大会開催を応援し運営の国際化に向けた活動をしています。 中南米ではジュニア以下の年令別大会に興味が有り、遠い国での大会や勝ち目のない大会には参加しませんが、中南米諸国で開催する大会には参加する国が殆どです。

オリンピック、ITTFプロツアー、ジュニア・カデットサーキットで一部の選手しか参加できない大会も、勿論僕自信興味はありますが、しかし”世界卓球団体選手権“は「世界の卓球、現時点で最高の技術、過去~現代そして将来どの様に技術が変化するのか、新技術の必要性は?」等々研究出来る貴重な大会です。この様な価値のある大会に参加出来るよう、そして選手が夢を持てるように指導を続けていこうと思います。

チリ南部での巡回指導

日系スポーツ大会-No2

前回のブログの続きです。ボリビア2014年大会には9ヶ国、9種目、700名の選手が参加しました。1968年ブラジル第1回大会開催以来45年が経過し今回が第21回大会ですが、これ迄の間、ボリビアで開催した事がなく事前準備が大変だったそうです。
2008年サンパウロ大会に参加した時もそうでしたが、入場行進と開会宣言後の趣向を凝らした出し物は日本人の血が騒ぐ内容です。ボリビアのカーニバルで有名な”カポラレス”グループ100名の踊りながらの行進、沖縄エイサー太鼓20名の“島唄”や、最後は50名の若者が「上を向いて歩こう」をスペイン語に編曲したレゲトン調のリズムに乗って踊り、会場に駆け付けた日系人たちと心を一つにした瞬間でした。

JICAジュニア・ボランティア経験者の西田泉さんも参加元JICAジュニア・ボランティアの西田泉さんも参加

卓球競技は発展を続けるサンタ・クルス市内の日本人会館で行われ、卓球競技期間中には忘れかけている日本人の心や日系人移住者の歴史を知る機会がありました。

2月1日試合会場の敷地内にある“サンタ・クルス日本語学校の入学式・始業式”の事です。日本人会会長の話で「なぜ日本語の勉強をするのかな?と思うことがあるでしょう。それは皆のお父さん・お母さん・おじいさん・おばあさんの生まれた国の言葉だからでしょう。それに日本は文化が豊かでテクノロジーの進んだ国だから、皆さんの知識と生活が豊かになる事にもつながります。そしておじいちゃん・おばあちゃんと日本語でお話してほしい」との挨拶でした。このように日本の文化を継承しているのだと思うと胸が熱くなりました。

もう一つは日系人の移住地訪問でした。ボリビアには沖縄県人移住者用のコロニア・オキナワ第1~第3と沖縄県以外の県からの移住者用にコロニア・サンファンが有り、今回訪問したコロニア・オキナワ第1のお話です。

今年で移住地への入植60年を迎え、「コロニア・オキナワ入植60周年記念祭典実行委員会」が結成され実行委員長から色々お話を伺うことができました。

入植当時、現在の国道からオキナワ入植地に入る道の整備が大変だったそうです。入植前のキャッチフレーズは“1家族に50ヘクタール提供”との移住募集があったそうです。 しかし、移住者が現地について驚いた事は、移住地が密林状態で住める環境でなかったことです。居住地、生活道路、川の氾濫対策様々な難問を乗り越え、現在も開拓途中である事。電気も冷蔵庫も無かった時に「労働が厳しい男性群に食事を提供してきたお陰で今がある」等々、涙なくして聞けない話が多々ありました。また、日本人の素晴らしいことの一つに、どんな環境であってもまず学校を作って日本の教育を考えたことです。「当時の外国人はまず教会を作り、日本人は学校を作った」との比較の話が印象的でした。

海外移住の日系人が多いブラジル、ペルー、アルゼンチン、メキシコ、パラグアイ等の中南米をはじめ、ハワイやアメリカでもそれぞれ苦難の歴史があった事は、書物や映画で知ることができますが、南米で生活する今、忘れてはならない同胞の活躍に勇気と力を与えられた素晴らしい行事に参加出来、今後の活動にも生かしたいと痛感しました。

ラテンアメリカ日系スポーツ大会

1~2年毎に開催される日系人スポーツ競技大会 (Confratenidad Deportiva Internacional Nikkei BOLIVIA 2014) が、1月29日~2月2日の期間ボリビア・サンタクルス市で開催されます。競技種目は卓球・フットサル・柔道・野球・ゴルフ・陸上・バレーボール、相撲、ボーリングの9種目。 参加国はアルゼンチン、ブラジル、チリ、エクアドル、グアテマラ、メキシコ、ペルー、パラグアイ、ボリビアの9ヶ国です。

2008年7月ブラジル・サンパウロ大会に初めて参加して以来6年ぶりなので大変楽しみです。残念ながらチリの日系人は少なく卓球種目に1人だけ参加します。この大会では日本人の顔をしているのに全員がスペイン語を話し、異様な錯覚に陥った事を覚えています(ブラジルのみポルトガル語)。 しかも開会式の式典で大勢の年配の方達が民謡を踊ったり、若者が和太鼓で大会を盛り上げる等日本さながらの催し物で、遠く離れた日本からラテン・アメリカ諸国で日本文化を継承している事に感動したものでした。

そもそも日系人の定義とは「日本から海外に本拠地を移し、永住の目的を持って生活されている日本人並びにその子孫の二世、三世、四世等で国籍、混血は問いませんが、そういう方々を海外日系人として定義しています(参考:公益財団法人海外日系協会)」。     http://www.jadesas.or.jp/aboutnikkei/index.html

とのことで、今大会参加国の日系人の人口はブラジル150万人、ペルー8万人、アルゼンチン3万2千人、メキシコ1万7千人、パラグアイ7,700人、ボリビア6,700人、チリ1,600人だそうです(2013年2月内閣府調査結果情報より)。

意外だったのがアルゼンチンの日系人の多さでした。しかも全体の8割近くが沖縄出身と聞いてまたまた驚いたものでした。日本で仲村渠(なかんだかれ)と言っても正確に呼ばれませんが、このアルゼンチンのブエノス・アイレスで「はい!“なかんだかれ”さんですね!」と簡単に呼ばれたことは忘れられません。なんと沖縄県人が多いこの土地では沖縄性は簡単だったのです。

ところでボリビアのサンタ・クルス市のガイドブック情報を見ると、日本人移住地が2ヶ所あり、コロニア・サンファンとコロニア・オキナワにあるそうで、僕自身沖縄本土に2回しか行った事が無いので中々沖縄の事を知る機会が有りません。 今回時間を見つけ沖縄関連の資料館を訪問したいと思います。

親善、親睦がメインのこの大会だが、卓球種目では断然ブラジルが強く、続くアルゼンチンがどこまで頑張れるかが楽しみです。チリからは男子1名の参加ですが、精一杯応援しようと思います。

 

真夏の正月 と 巡回指導

時期遅れの情報ですが、早いもので定年後6回目になる正月を今年も真夏のラテン・アメリカで過ごしました。2009年~2012年アルゼンチン、2013年コスタリカ、2014年チリです。

ここサンチャゴでも大きな花火を打ち上げ見応えがありました。国民性が出るのか1時間くらいで静かになりましたが新年の開始にあたって花火で祝賀を盛りたてました。

隣の国、アルゼンチンでは夜中の12時少し前から朝3~4時頃まで花火を上げます。コスタリカでは丘の中腹から見たサンホセ市内も小規模ながらあちこちで花火を上げていました。

日本だと「除夜の鐘」を聞きながら新年を迎え、数日間は正月気分にしたりますが、こちらでは宗教上の理由からクリスマスの方が重要で、1月1日は新年だが単なる休日で2日から通常の生活に戻ります。

又、この時期(12月中旬~2月末迄)は夏休みですが、休みを返上して練習する地域がある事に若干驚きました(日本では当たり前ですが)。

そこでこの時期を利用し、南部パタゴニア地方で巡回指導を行いました。  年間を通し1~2月の気候が良いとのことで1月7日~19日迄の指導でした。

南極に近い最南端のPunta Arenas空港に到着後、車で3時間半北上し会場のある町へ移動です。パタゴニアは強風・雪と最近では雨も多いので、雪と雨が少ないこの時期を選んでの合宿でしたが、それでも空港からの移動中、強風で車があおられる経験をしながら現地に着きました。その後も宿泊場所や練習会場でも時速100km前後の強風を受け、環境の厳しさを痛感しました。

会場の町はPuerto Natalesでここから3時間程の場所に、観光地でもあるTorres del Paine(パイネ国立公園内に或る“3本の岩峰”)を見る機会がありました。

勿論、訓練は現地の人達にとって「今まで受けた事がない厳しい内容」とのことでした。

ロス・アンゼルス(チリ)

サンチャゴ市から南へ500Kmに位置するロス・アンゼルス市へ寝台バスを使って指導に行きました。田舎の町で南部は寒いと思っていたが、首都サンチャゴと変わらない街並みと30度以上の気温(南半球なので南は寒い)にも驚きました。

チリでは大統領選挙も終わり、学校も12月中旬から2月末迄の夏休み(日本と季節は逆)に入りました。12月の卓球連盟総会に参加したロス・アンゼルス卓球協会から、「短期間でも良いから講習会を開いて欲しい」との要望に応え、急遽、クリスマス25日の夜から30日迄指導をしました。子供たちの輝く目を見ていつも感じる事は、自分自身も初心に戻れる事です。

最終日の夜、選手と選手の家族と共にアサード(中南米スタイルの焼き肉)で英気を養いました。
そして「来年はもっと練習して、強く成れるよう頑張ろう」と約束をして帰ってきました。

ラジオ放送

12月10日サンチャゴから全国ネット放送のラジオ局(Radio Nueva Mundo 93.0Am)で、午後12時半過ぎから30分間番組に出演しました。

アルゼンチンで指導した時も、TV・ラジオのスポーツ番組や新聞報道で「卓球の広報・普及活動」の一環として出演したものです。

日本では2008年3月NHKラジオ深夜便「ナイトエッセー」の番組から「あざやか! 卓球人生」のタイトルで4夜連続放送した事が有りました。60才定年後をJICAシニア海外ボランティアとしてアルゼンチンに赴任する前でした。

あれから5年半経った今回、卓球連盟事務局長と出演し「僕の紹介」と「これから約2年間の指導での抱負や活動方針の確認」です。又、チリのレベルはどうか? 何が必要か? どの様な指導を考えているか?等々の具体的な質問にも答えました。

ラジオ放送終了後、連盟に「直ぐ講習会をしてほしい」とか「直接話が出来ないか?」等の連絡が入り、いよいよ全国展開の活動に“熱い気持ち”が湧いてきました。  南北4300Kmの細長い国にも卓球をする人が一杯います。この機会に日本伝統のスポーツ「卓球」を品位のあるスポーツとして正しく伝えたいと思います。そしてチリ卓球界の底辺拡大・普及活動に尽くしたいと思います。

放送の様子はスペイン語ですが、興味があればチリ卓球連盟ホームページ「11=Iguares」コーナーで聞けます(12月10日放送 “Escucha Programa del Martes 10 de Diciembre 2013” です)。

http://www.fechiteme.cl/index.php/11-iguales/

チリ選手権

2013年今年最後の3回目チリ選手権が11月18日~24日に開催されました。年間3回行われる全国大会の1回、2回大会はそれぞれ違う日程の土・日2日間を使って年令別で行ったそうです。3回目の最終大会だけが一斉に行われました。

選手全体のレベルや戦型、運営方法等を観戦する事が出来、本格的に活動する前の良い機会でした。

参加選手は北のアリカ(Arica:ペルーとの国境沿いの都市)から、南はプンタ・アレーナス(Punta Arenas:南極に近い都市)からで、なんと4300㎞と南北に長い各都市からの参加です。 7~8歳の選手から一般選手迄、会場のオリンピック・ナショナルスポーツセンター(CEO)には選手の両親やクラブのコーチ達で熱気に溢れていました。又、この会場は国際大会にも使われる場所で子供たちにも良い刺激に成っています。

選手のタイプでペンホルダーが全体の7~8%程参加しているのには驚きました。戦型的には両ハンドドライブを使って、台から少し下がった場所(中陣~後陣)のラリー戦が男子の一般的なプレースタイルで、女子は台の中央で両ハンドを使い、殆ど動かないでプレーするスタイル(フットワークを使ったプレーが出来ない選手)が多く見られました。また南米諸国の上位選手に左利きが多くいて、ここでも左利きの選手が多くみられました。

大会期間中に熱心な地域からの指導要請を受けました。夏休みの1月~2月ですが、特に南部地域の活動には、年間を通してこの時期だけが天候的に好都合な為です。南部都市のプンタ・アレーナスと、もう一ヶ所はプエルト・モン(Puerto Montt)の2箇所。それと北部アントファガスタ(Antofagasta)に巡回指導する事を決めました。

年内は首都サンチャゴのオリンピック・ナショナルスポーツセンター(CEO)で、チリの習慣、運営方法の様子を見ながら指導をしたいと思っています。

 

11月17日大統領選挙

ようやく住み家が決まり、いよいよ本格的にチリでの活動準備がほぼ整いました。生活費と同じく賃貸住居も高く数件回ってやっと見つけたアパート(26階建の25階)は、“CEO:オリンピック練習センター”の近くで歩いて20分前後、アンデス山脈が目前に見える絶景の場所です。

アパートを探している頃、街中に大統領候補でのポスターが掲示され出しました。選挙投票日が11月17日で1ヶ月前から選挙活動が解禁に成ったのでした。

今日13日の夕方アパート近くの公園から、大音量の音楽が聞こえてきました。サルサ、メレンゲ、クンビア、時々レゲトン等も聞こえつい体が動き出します。ラテンのリズムが終わる気配もなく、いてもたっても居られなくなって音楽の発信源を探しに行きました。成るほど!と思いました。大統領候補の応援集会でビッグバンドのグループの大音量が源です。人集めの最中でしたが既に支持者達が旗を持ちリズムに乗って盛り上がっていました。

連続して大統領職に付けないチリでは、1期4年の大統領選挙に最後の応援に熱が入ってきました。5年前迄大統領をしていた”BACHELET”さんの応援集会でした。50%近い支持率の彼女が再選されるのでしょうか?

また、毎週日曜日同じ場所で10時~午後2時まで、大音量のもと健康体操(エアロビクス)を行うのを発見しました。やはりラテン音楽のテンポが早い(乗りのいい)リズムで次回から時間を見つけ、是非紛れ込みたいと思っています(多分、大会が土日に入るので無理でしょうが)。 僕の場合、太極拳より合っている健康運動かな?

物価と教育レベルが高いサンチャゴ市

ランドマークのトーレ・コスタネーラ新市街と旧市街はどこの中南米に行っても見られるもの。首都サンチャゴの新市街は日本の銀座の様な装い。広く取った車道の両側に建てられた高層ビルは、シンガポールと同じ様にビルのデザインがそれぞれ違う建築物。町中を歩くだけで足を止めて見入ってしまうほどです。  一方、旧市街はその国の生活が生で感じられ楽しい場所。海外、特に中南米ならどこの国でも言われる様に犯罪に遭わない注意が必要なところです。 活気溢れる大きな市場があって野菜、果物、魚、洋服、食堂、お土産屋など目移りするものばかりです。 綺麗な地下鉄と市内の路線バスを使いこなし買い物できる様に目下探索中。

ガイドブックでも説明している様に人々は物静かでマナーも良く、日本人と似た部分があってホッとします。しかし、物価が他の中南米に比べ高いのには驚いています。今のところ食料品と乗り物しか比較できませんが日本と変わらない物価です。

町の新市街に2年前から建築中の70階建ビルがランドマークと成って、アンデス山脈やこのビル(コスタネーラ)を見て方向や、現在地が確認できるので助かります。

ランドマーク近くのバス停

別件です。10月15日の夜、2014年世界サッカーブラジル大会の南米代表を掛けた最終戦でエクアドルに勝ってアルゼンチン、コロンビアに次いで代表権を獲得しましたが、サンチャゴ市内は他の南米国とは違って馬鹿騒ぎしない静かな喜び方に他国との違いを見た感じでした。

チリに到着

何度も試合で来た首都サンチャゴに2年間滞在します。短期間の大会や旅行で来るのとでは大違いの生活が待っています。
革命商人(深田祐介作)で読んだ由緒ある地名や場所に出くわすが、この国の歴史を理解するのにもう一度読み返そうと思う。その歴史的由緒あるモネダ宮殿前にそびえるチリ国旗。

 

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