中南米でのボランティア活動

今年10月3回目のJICAシニア海外ボランティアで「チリ卓球指導」を2年間行います。過去2回はアルゼンチンで計4年(2008.03~2010.03、2010.06~2012.06)。応募は1次試験の書類選考(会社での経歴、専門分野の経歴、健康診断書)。1次試験合格後の2次試験は「中南米・卓球」科目の場合、英語とスペイン語の筆記テスト。面接は指導言語でのスペイン語、最後に日本語で「何故ボランティア活動を?」等の試験内容です。
2次合格者もその後実施される「研修」が終了するまでは派遣予定者です。研修終了後に正式派遣が決定され晴れて任地への赴任となります。国民の税金で派遣されるボランティアへの厳重な審査結果と言えます。

JICAの宣伝ではありませんが“ボランティア活動”について良く分からない人や僕への質問に違った解釈で話しかけられる事が多いので少し説明します。
“独立行政法人・国際協力機構”のJIICAボランティア事業は、40~69歳の“シニア海外ボランティア”と20~39歳の“青年海外協力隊”から成っています。スポーツの「卓球」に於いても、事業前提の国際協力「国際社会全体の平和と安定、発展のために、開発途上国・地域の人々を支援すること」です。

現地の生活費は当該国の平均的生活レベルの「生活費」が提供されます。住居は安全面を重視し安心して活動出来る場所を確保します。この様な環境の元、信念を持って奉仕するのがボランティア活動です。ラテン・アメリカ諸国が少しでも世界の標準に近づく事が出来ればこの上ない喜びです。  詳しくはJICAホームページを参照ください。   http://www.jica.go.jp/

下記は9月13日付け毎日新聞、アルゼンチン日系13才選手の記事です。
http://mainichi.jp/sports/news/20130913dde035050003000c.html

同じくアルゼンチンの教え子アグスティーナ・直美・岩佐(19歳女子のアルゼンチン・チャンピオン)が6月から日本に修行しに来ています。2016年リオ・オリンピックの中南米代表枠の6名に入ることが目的です。

幸いにも県内の埼玉川越東高校、埼玉正智深谷高校、味の素ナショナルトレーニングセンター、専修大学で練習させて頂き、関係者の支援と数多くの選手達と練習が出来ています。練習環境の素晴らしさに感激し、沢山練習出来る事から当初3ヶ月の滞在予定を2ヶ月延長しました。
そして長期滞在を快諾して頂ける正智深谷の対応と、更には厳しい訓練に喜びを感じて生活しています。

選手達との絆は今後も続くでしょう。 隣国チリでの指導はアルゼンチンにとって良くも悪くも良い刺激に成ります。過去に指導経験が有る中南米のパナマ、アルゼンチン、コスタリカ、更にチリへの指導に携わりますが、これらの国だけにとらわれず「中南米諸国が世界の標準に近づく土壌作りが出来れば!」との想いでJICAでの3度目のボランティア活動に出かけます。

やったー! 2020年東京オリンピック

懐かしいアルゼンチン、ブエノス・アイレスでのオリンピック招致会場。プエルト・マデーロ地区の警備がし易い市内と新地を運河で仕切られた地域のホテルの決選会場。日本との時差はマイナス12時間。気候も日本とは全く逆の春に向かった寒い残冬です。

そんな場所での招致メンバー(スピーカーとロビー活動の応援団)グループが、国際オリンピック委員会ジャック・ロゲ会長から「TOKYO」の発表の瞬間、ブエノス・アイレスの会場と日本のテレビの前に固唾をのんで待ちわびた僕も含めて日本中の人々が、一斉に「やった!やったー!」とこぶしを上げ歓喜した。

皇室、首相、東京都知事、JOC会長他プレゼンテイターを始め、大勢の関係者が「本気」になって臨んだ「2020年オリンピック開催地」招致の結晶と受止め感激しました。

レスリングが野球・ソフトボール、スカッシュを抑え継続競技種目に再選されました。卓球では中国出身者の多くが世界の上位を占める現状から「卓球競技」もオリンピック競技から排除されるのでは?と囁かれる事を聞いています。中国以外の国が本気に成って中国以上の強化対策、環境作りをすれば(出来れば)中国に負けないのは明らか。今回の日本・東京招致チームの様な「本気に成れば勝てる!」教訓を生かし、「もっと精進しなければ」と肝に銘じた大きな出来事でした。

羨ましい日本卓球人気の舞台裏

TV東京・植草アナウンサー(パリ世界大会のアナウンサー)とITTF会長秘書と会う機会があり「思うこと」がありました。スポーツ「卓球」をサポートする媒体として一般の人達へのアピールには重要なサポーターです。2004年アテネオリンピックでTV東京が取り組んだ「卓球」特別番組の放映から約10年、昨年ロンドンオリンピックでの女子の活躍、今年パリの世界選手権での男子の活躍とテレビを通して選手達の活躍の様子が自宅にいて共有できました。現地の手に汗握る臨場感の同時放映は嬉しい。大会前のTV宣伝の露出も多く、卓球を知らない人達からも「卓球」と言う言葉を聴くことが出来るくらい認知度が高まっています。

勿論、日本選手の努力、強化選手への手厚いサポート、卓球協会及びオリンピック委員会の支援、更には報道関係の素晴らしい応援。日本の現状をラテン・アメリカと比較した場合、卓球を取り巻く環境が違いすぎて「羨ましい!」と思わずため息が出ます。

中南米のテレビ放映露出度No.1はサッカー。スポーツの予算配分も聞くところによると約8~9割がサッカーで残りの1~2割が他のスポーツで分割する。予算の少ない卓球では国際大会の出場さえ吟味しなければならない。ラテン・アメリカ域内だけの出場か、それとも選手に夢を与え世界規模の大会に出場させるかと、各国の予算運営・方針設定の苦しい台所事情が垣間見られる。

選手のモチベーションを保つ、発展途上地域(アジア・欧州以外)への卓球競技発展のサポート、世界レベルの選手が集まる大会設定、予算運営上遠い場所での大会不参加等々厳しい中南米諸国。域内で開催されるITTFジュニア・カデットサーキット、プロツアーが唯一国際的な大会。ITTFトップ12も今年3回目を開催。上位選手が唯一経済面でのサポート大会として目の色が変わる大会です。

無いものねだりの発想ですが、発展途上地域(アジア・欧州以外)で開催されるITTF大会を通常のポイント5倍又はそれ以上?に設定し、世界上位の選手が参加し易く、国際大会に参加できない例えば中南米諸国の選手強化、卓球競技の活性化、他のスポーツへの刺激等 レイティングポイントの見直しで卓球の普及になればいいなぁ!と夢の様な思いで中南米を贔屓する発想の思いでした。

「信じれる話」と「信じられない光景」

今年2月ホンジュラス主催の中米選手権での出来事。大会初日の会場では9時前から準備運動に熱が入っていた最中、突然会場の電気が消えました。のんびりしたもので「そのうち点くだろう」と薄暗い中でボールを打ち続ける選手達。 ラテン・アメリカで生活すると日本では考えられない事に出くわす時(日本の習慣や基準で考えてしまう結果)イライラしていた5年前に比べ、最近では大抵の事に慌てなくなり「現地の対応に任す他ない」「ジタバタしてもどうしょうもない」とそれなりの覚悟で対応する大切さが身に沁みてきたので運営側の対応に任せる事にしていました。
現役時代教わった「世界選手権でさえ何が起きるか分からない。いつも“平常心”に心掛ける様に!」の言葉は肝に銘じているし、特に選手達には動揺した態度は見せられません。

不幸中の幸いと言うか電気が点くまでと、隣に座っていた僕より年配のエル・サルバドル台湾コーチと話し込みました。「台湾が強かった昔の話」や「中南米の卓球事情」を教えて貰ったりと興味深い話を一杯聞くことが出来ました。そんな中「そう言えば20年位前、パナマに日本人の卓球関係者がいた」話題に成り、名前を思い出すため筆談に成って「仲???なんとか?」「仲村渠か?」「そうだ、そうだ!」と名前が確認でき「それは僕だ!」と奇遇?な出会いで大笑いしました。「顔が変わった?髪の毛が黒々でフサフサしていた」と随分話し込んでから確認できました。
シャララITTF会長とメキシコの中南米選手権で会った時「昔、シチズンとカナダチームの親善試合で仲村渠さんと試合をしたことがあるが、髪の毛が一杯あった事も忘れられない特徴」と話した事を思い出す「髪がかり」の一コマでした。

大会3日目。混合ダブルス決勝の直前の出来事。試合用6台、練習用3台の小さな会場。決勝戦が始まるのに練習を止めない選手達。見かねてコスタリカ役員にお願いし進行席へ伝言して貰った。「決勝以外では練習を止めてください」が流れやっと台から離れました。
ところが信じられない光景。決勝台の隣のコートで歓談している4人。しかも「卓球台の上に腰を掛けた或るチームのコーチとその仲間4人で、試合も見ず歓談している」この光景には流石、寛大な心の持ち主の僕でも怒り心頭。観覧席からその場所に直行し「この場所から至急離れ、観客席に移動すること」を伝え、しぶしぶ台から離れました。そのコーチには「試合を見るよう指導したらどうか?」「決勝戦を戦う選手達に失礼。大会運営者への非協力。“国際レベルの大会運営/競技力も改善したい”この大会に“唾を天に向かって掛ける行為”、スポーツマンとしてあり得ない行動」だと説明しました。中米のレベルが判断できる一コマでした。

自分で出来る事と出来ない事があります。自然災害や政府・地域諸々での出来事、現地の習慣や風習は中々変えられませんが理解は出来ます。決勝戦の話は自分達で出来るものと確信しています。
日本人が学んできた素晴らしいマナーや道徳心の考え方については「信念を持って伝える」ことで指導の軸がブレナイかなと常々思っている事です。

富める海岸 (コスタリカ) No.2 <指導編>

コーヒーが好きで香港駐在時はスマトラ・マンデリン、パナマ駐在時は現地のパナマ、最近まではコロンビアでしたが、コスタリカ・コーヒーを飲んで一気に嗜好が変わりました。個人差に依るでしょうが嗜好を変えることは勇気と決断が必要です。 それ以来 “コクがあって香りのいいコスタリカ・コーヒー”を飲んでいましたが、残念ながら持ち帰ったコーヒーも飲み干してしまい、今は元のコロンビアが主流となってしまいました。

果物も安く手に入りバナナ、パイナップル、スイカ等 日本と比較にならない価格で贅沢に腹一杯食べてしまいました。自然界では山が多く火山国のため、高原都市サンホセは標高1150M夏の軽井沢と言われる常春。しかし、他の州への移動は苦労しました。高低差が激しい坂道、移動中の山越え途中急に天候が変わり、前が見えないくらい霧になったり雨が降ったりとノンビリ(おちおち)助手席で寝ることも出来ません。移動途中現地で言われている「温泉」に入りましたが、水着で入るシステムで温泉ではなく少し温かめの温水プールでした。のんびり湯に浸かって疲れを癒す!なんてことが出来ず「ガクッ」としました。 一方、太平洋側の海岸線はコスタリカの日本語訳通り、美しい砂浜(豊かな・富める海岸)が遠くまで続き壮観でしたが眺めるだけでした。

風光明媚、民度も高いコスタリカ。サッカーを除いてすべてのスポーツが低迷していますが、この国だけでなく他の中南米諸国同様、卓球を長く続ける動機付けが多くありません。
しかし、ITTF国際卓球連盟ではアジア、欧州だけでなく南北アメリカ、アフリカ、オセアニアの大陸への普及・発展活動を試行錯誤しています。 幸いにも2011年初めてラテン・アメリカで上位12名に依る賞金付き大会(ITTFラテン・アメリカ・カップ)がブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催されました。第2回2012年はコスタリカ・サンホセ市で開催され、今年第3回はドミニカ共和国でした。
第2回大会で弱小国に関わらず見事に大会運営を行いました。

スポーツで一流になる。世界レベルで活動出来る。高い意識でスポーツに関われる。レベルの高い考えで卓球を運営するには難しい環境、厳しい状況が続く中南米諸国。その中でも中米は特にレベルが低く、更にコスタリカは改善された目標が沢山見つかり明るい兆しが見えてきました。
いつも協力してくれた仲間の車に便乗し①クラブチーム訪問 ②活発に活動する州での講習会 ③2ヶ月に一度のランキング大会観戦での選手選び、サンホセ市「ナショナル・スタディオ」への練習参加の切符を有望選手達に渡すことが出来ました。

新しくできた国立サッカー場の観客席下1階に10台常設された練習場。赴任する前に緊急に確保出来た練習場です。以前は各クラブチーム内だけで活動していた有望選手。今後、有望選手が合同・強化練習出来る環境が整いました。
合同練習や指導者講習会で力説した「チャンピオンへの道」「心・技・体・智」の基本的考え方がどこまで生かされるか今後に期待したいところです。

富める海岸 (コスタリカ) No.1

コスタリカに2012年9月15日(土)赴任し、この日は現地の人達にとって歴史的な日で中米諸国独立記念日です。
グアテマラ、エル・サルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカの中米5ヵ国がスペインから中央アメリカ連邦として独立した日で感慨深い日となりました。
パナマとニカラグアに隣接する「コスタリカ」は、太平洋とカリブ海に挟まれ「海水浴場」「火山」「自然公園」「自然保護区」が多く、更に民度が高く、他の中米国に比べ安全であると同時に、スイス同様軍隊を持たない「非武装中立」であること。また世界的なエコツアーブームもあって乾季には沢山の旅行者が訪れます。

5月~11月の雨季、12月~4月が乾季。幸運にも9月~3月の滞在期間中、両方の気候を体験できました。赴任翌日から午後は必ず大雨、11月後半から雨が減り、帰国する頃は毎日晴天と気候の変化を体感できました。流石、卓球連盟では連盟ロゴ入りの大きな雨傘を直ぐ貸してくれました。

連休明け後、早速「日本大使館」を訪問し“オリンピック委員会招聘の卓球指導で訪問”の説明、現地に長期滞在する時に報告義務がある「在留届」を提出。また「JICAコスタリカ」と「日本人学校」にも挨拶をしました。「卓球連盟」とは新しい国立サッカー場内にある卓球場を視察し活動方針を検討しました。火~金の夕方6時~9時、土日が朝昼の練習、月曜のみ休養と設定しました。

午後3時位まで時間的余裕があったので、市内まで約15分、バスの待ち時間合せて約30分位の距離の市内巡回バスを利用し、昼食兼場所を覚える目的で良く出歩きました。或る時、アパートに近い停留場行きのバスを教えてもらったが中々到着せず、我慢して2周同じルートを巡回したがとうとう運転手に確認しバスを乗換えて帰った事があります。このお陰でアパートとの位置関係がよくわかり市内観光バスよりはるかに現実的な良い経験ができた失敗談がありました。
練習場まで徒歩15分、この頃複雑な気持ちで日本と中国の国旗を眺めながら通ったものです。
卓球連盟が手配したアパートは “日本大使公邸” “中国大使館領事部” “前コスタリカ大統領宅” が隣接。警備員が至るところで監視している安全な場所でした。

10月早々指導者講習会を開きました。日本人コーチが来たこと、まだ見たことない新しい卓球場(ナショナル・スタディアム)に全国から定員50名(クラブのコーチや卓球経験者で子供の親達)が参加しました。参加者の中に30歳の若者が同じ専門学校の教師(50歳プロフェソール)と参加していました。彼は専門学校で “情報技術” と “会計学” を専攻する卓球愛好家です。僕にとって彼等との出会いで充実したコスタリカ生活が送れました。アルゼンチンで作った指導書「チャンピオンへの道」を使った結果、「もっと体裁よく本にしよう」と提案を受けました。内容を見直し、文章や表現の見直し追加修正をし、共通に使える内容とアルゼンチン卓球情報を区別し編集、挿絵や表紙に僕の写真も入れる事を推し進められ1ヶ月で製本が出来ました。

現地で活動するとき「同じ目標を持った仲間や協力者を見つけ、如何に充実した活動が出来るか!」今回も素晴らしい仲間に出会えたことに喜びをかみしめています。

カリブ海の国 (キューバ)

昨年9月中旬~今年3月末迄(約半年間)コスタリカ・ナショナルチームの選手と全国の若い選手を指導してきました。 勿論、指導の中心は首都サンホセ市で開催される「中米競技会」の強化目的です。 通常、卓球連盟の運営費用では捻出できない強化が組まれていました。
1月キューバでの10日間集中合宿。 2月ニューヨーク・クラブチーム主催の大会参加(USランキング適用で多数カテゴリーの試合)。 3月本番の「中米競技会」で銅メダル4個獲得は、コスタリカの現状では良い部類の結果でした。

キューバでの合宿にはラテン・アメリカ諸国が良く利用します。首都ハバナ市にある練習場(ナショナルスポーツセンター)と少し離れた宿泊所(ホテル)込みの費用が安いこと。 施設の周りは自由主義国の様な飲食店、遊技場、娯楽施設等が無く、集中訓練するには素晴らしく環境に恵まれているからです。 但し、インターネットの管理が厳しく自由に使えなかったのが問題でした。

物質面で恵まれないキューバ卓球協会では、僕を見てすかさず日本政府への援助・コネを付けたい貪欲な行動で「日本大使館・広報担当」、「JICA(国際協力事業)」へ中米卓球連盟役員、卓球協会会長とで出かけました。
「協力できる時期が来たら応援したいが、現時点では政治的に難しい」当然の説明でしたが、キューバ卓球連盟の前向きで積極的な行動には感動さえ覚えました。

キューバと言えば野球や音楽が有名ですが、音楽で思い出されるのは2000年1月日本で上映された「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のドキュメンタリー映画が記録的ヒットとなり、グループの日本公演が望まれ 当時、平均年齢70歳の “ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのバンド” の来日が8月に実現しました。
勿論、入場券を購入し満員のラテン音楽好きの人達と一緒に成って体をくねくねして聞き入ったものでした。

波乱に満ちた歴史、社会主義国キューバ。 自由主義社会に生きる人達には理解しにくい事が多いこの国ですが、僕が一番好きだった人々の“笑顔”、“陽気”、それに“ラジオから流れるサルサ”でした。
世界レベルの卓球界からまだまだレベルは低いが、「世界の標準に近づきたい」と貧弱な用具で日夜訓練していた選手達のひたむきな姿勢をみて、幸せとは何か?を考えさせられた合宿期間でした。
それでも選手達、それに僕も“大好きな卓球”で共有できる様々な事柄。そして心を開いて笑顔で話し会えた時間が一杯あった素晴らしい思い出と成りました。
カリブ海の小さな国キューバの情報でした。

ラテン・アメリカへの熱い想い (パナマ)

今年3月、中米コスタリカのサンホセ市で開催された「中米競技会」会場で、20年前(1991~94年の3年間)パナマ駐在時の教え子Andy Buckley(当時21~2才)の彼と再会しました。
コスタリカ・オリンピック委員会の要請で、コスタリカコーチとして参加していた会場での事。
”マエストロ(師匠)” と昔の呼び方で声を掛けてきた彼は、現在パナマ卓球協会会長と中米卓球連盟副会長の役職での参加でしたが、そんな彼との再会で当時を懐かしく思い出しました。

勤務外の時間を利用し、現地卓球場に集まる若者達と一緒にそれまで機能していなかった卓球協会の再活に力を入れ、国内はもとより国際大会運営を通して指導しました。
1年目は2ヶ国(パナマ・コスタリカ)、2年目は4ヶ国、3年目は8ヶ国友好親善の国際大会を実施出来ました。3年目当時世界選手権ベスト16に入ったクラウディオ・叶野のブラジルチームも要請・参加しました。
国際大会運営に当たっては、国内大会(国内試合実施、ランキング設定、国際大会出場選手決定)、国際大会(参加国要請、大会会場、国内交通、宿泊、食事諸々)、協力依頼(新聞、TV、ラジオの広報活動、運営費の捻出 等)。大会運営に必要な人員要請も積極的な協力を受け、年々上手く運営できる様に成ったものでした。そのパナマは競技レベルこそ低い中、卓球協会の活動がしっかり運営され、卓球人口の増加、国際大会の運営も立派に出来ているらしい。

Andyの本業は弁護士だが、毎週末サルサ・メレンゲ・ラテンジャズ等を演奏するラテン音楽のグループリーダーで、彼のお陰でラテンのリズムを覚えたものです。

ラテン・アメリカが未だ世界の標準レベルから大きく離れている現実から、定年後は「ラテン・アメリカで卓球指導をしたい」と夢見た想いは、この時の活動が原点になっていました。

ラテン情報

ラテンにはフランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、ルーマニア等の欧州諸国と、南北アメリカのメキシコ以南、カリブ海、中米、南米の諸国をラテン・アメリカと言われています。

そのラテン・アメリカの南米アルゼンチンで、2008年3月~2012年6月の4年間。中米のコスタリカで2012年9月~2013年3月末まで卓球指導(スペイン語での指導)を行ってきました。ブラジルのポルトガル語以外殆どの国がスペイン語なので、ラテンアメリカ(中南米)選手権ではあちこちの国で日本の方言と同じ感覚で聞けるのも面白いです。

ラテン音楽(サルサ、メレンゲ、ラテンジャズ、レゲ、レゲトン、クンビア、マリアッチ、ボサノバ、サンバ、タンゴ 他)、ラテン気質(明るい、気にしない、誰でもアミーゴ:友達 等)。共通な面も多いが、やっぱり国によって生活習慣や風習が違います。

そんなラテン・アメリカではサッカーが大人気ですが、卓球も盛んに行われています。厳しい環境の卓球界ですが世界標準の運営や活動、コーチ・選手達が世界を目指す環境に成れるよう応援(指導)をしたいと思います。

卓球の大好きな皆さま、、、始めまして!

5年前60才定年を機に、皆さまと同じように大好きな卓球活動をしている仲村渠(なかんだかれ)です。

40年来の古い卓球仲間の今野さん(編集長)が発行している「卓球王国」のブログを活用させて頂き、中南米の卓球事情を紹介したいと思います。

世界中のどの国の子供達も、チャンピオンを夢見て練習に打ち込む姿は素晴らしい光景です。

今後ともどうぞ宜しくお願いします。

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