奇跡が起きました。
前回のブログで、卓球に関するコメントを頂いたのです。こんな事があっても良いのでしょうか?
許ッシンさん、この度はありがとうございます。
>私も左です。現役当時の作戦や練習法、いつも気をつけていた考え方等を載せて頂けませんか。
競技スポーツ、健康のため、体育として、レクレーションスポーツetc,,,
目的によって「作戦、練習法、考え方」はガラリと変わりますよね。
許ッシンさんがどのタイプか分かりませんが、このブログにコメントくださるくらいですから、「競技スポーツとして卓球をされている」のかと思われます。健康のためやレクレーション目的だったら、こんな熱心な質問はしないと思うので。
なんだか私が「卓球競技選手だった」ということが、ようやく認められた気がします。
一応、全日学でダブルス準優勝、シングルスベスト16、関東大学リーグ戦では敢闘賞を頂いたことがあるんですけどね。信じられないでしょうけど。
え? 大したことないですって? まぁ、そう言わずに。
今回は 1、作戦 2、練習法 3、考え方 についてお答えします。
1、作戦 →フェイントをかけてストレートへ打つ
左の私が試合で一番使っている技術は、フォアサイドからストレートに打つボールです。
クロスへ打つ様なフォームでストレートに打つことを心がけています。
ポイントは「フェイントをかけること」。ストレートに打つのがバレると効果は激減します。
2、考え方 →相手のすごい技術に気づき、真似する
大学時代の話です。2歳年上のカットマンの姉と試合中、たまにスマッシュを打たれ、そのスマッシュが遅いにも関わらず、私はノータッチミスを繰り返していました。
悔しい。カットマンに打たれるのも悔しい。そのスマッシュもこんなに遅いくせに、まさかノータッチで抜かれるなんて。
なぜノータッチで抜かれるかというと、必ず逆コースを突かれていたからです。
「なるほど、卓球ってのは、スピードだけが命じゃないのね」
ポイントは「人のふり見て我がふり直せ」です。
つまり、やられて悔しかったり、「これはすごい技術だな」、「面白い戦術だな」という事に気付き、真似してみる事。
あの人に出来て、自分に出来ない訳がありません。
出来ないのは練習が足りないだけです。
練習すれば出来るようになります。
出来るために練習するんですよね?
強い相手からでも、自分より弱い相手からでも学ぶことが出来ます。
練習中に気付くこともあるので、「常にヒントを探す事」が大事だと思います。
3、練習法 →勝つための練習をする(サーブから3球目、レシーブから4球目)
秋田国体選手だった頃、秋田銀行で仕事していたので、練習時間は19時~21時の2時間でした。練習時間が2時間しかないので、基本練習やフットワーク練習などしている時間はありません。
基本は大体出来ていたので、今更基本練習をしてもしょうがない。
フットワークだって、大体出来ていました。
練習は何のためかというと、答えはただ一つ。
勝つためです。
究極なことを言えば、フットワークが遅くったって、下手くそだって良いんです。
試合に勝てば良いんです。
ということで私が行っていた練習は、サーブから3球目、レシーブから4球目。秋田国体に向けて、こればかり練習していました。
何処かの卓球部顧問の先生が言っていました。「弱くても良い、勝て」と。
卓球を競技スポーツとしてやっているのであれば、結果が全てです。
しかし、長い人生で見れば、負けても何かを学べるし、負けたからこそ反省します。
勝てば良し、負けても良し。これからも一緒に頑張りましょう!
ありがとうございました。フェイントでストレートは自分も気にしていたので、一流の方と同じで自信になりました。西田さんについて調べないで知っていることは(間違っていたらごめんなさい)リトルキングスの出身、青森山田高、同級生はゴッツいプレーをする吉田選手。東北大会で見ました。脹徳英張りの投げ上げサーブ、プッシュ、今思い出してみるとフォアハンドの逆モーション攻撃も魅力的でしたね。実は秋田でも見てます。知人が単身赴任してまして会場に見に行きました。また、秋田の体育館で練習していた事ありませんか?大雑把な質問ですけど、知人とラージの練習をしたとき、お見かけしたような記憶があります。
西田さんは勿論卓球選手ですよ。
許ッシン さん
こちらこそありがとうございました!
大正解です。リトルキングス、青森山田高校、同級生はごっついプレーをする吉田光希選手でした。
投げ上げサーブは今も健在です。
秋田のどこの体育館で私を見かけたのかわかりませんが、恐らく私でしょう。
優しいお言葉ありがとうございます!
いつもブログ楽しく拝見しています。西田さんは立派な「卓球競技選手」
じゃないですか。H21年の奈良の全日本社会人で若宮に勝った試合は目の
前で見てましたよ(若宮の応援側でしたが)。岸⚫️、⚫️谷からもお噂はかね
がね伺っています。また楽しい脱線話をお聞かせください。
K.Kさん
コメントありがとうございます!
H21年の奈良の全日本社会人で若宮選手に確かに勝ちました。
私は左利きゾーンにいて、ほとんどの選手が左利きでした。
初戦の若宮選手に対し、私は小さい山から勝ち上がりだったので体が温まっていたのでしょう。本当にラッキーでした。
強い選手がいつも勝てる訳ではなく、たまに変な選手に負けてしまう事だってあります。たまたまその変な選手が私だったってことです。
岸田さんが若宮選手のベンチコーチに入っていましたが、岸田さんとは卓球クラブチーム(リトルキングス)が同じでした。もちろん私にとって聡ちゃんは憧れのお姉さんでした。彼女こそ、私が左ペンになったきっかけなのです。
若宮選手が日本や世界で勝つ度に、私も嬉しくなります。これからもがんばって欲しいです! 応援しています!