ブログを書き始めようと思ったきっかけ

昔、意気揚々と卓球王国のブログを書いていた頃のお話し。

お気に入りの「卓球コラムニスト」の卓球王国ブログに目を通していた時。

「卓球コラムニスト」とはいえ、全てのブログが卓球に関する記事という事ではありません。その日のブログもそうでした。

するとそのブログに対して、こんなコメントがありました。

 

「いちいちこんなことでブログを書かないでください。(中略)。様々な読者が目を通す卓球王国公認ブログです。もう少し責任感をもってブログの更新をしてください」

 

……。

 

……あのぅ……

 

あれっ? そういえば私のブログって、「いちいちこんなこと的なブログ」しかないんですけど(涙)……。

なんだか「私という存在」を全否定されている気がして、心から意気消沈しました。膨らんだ風船が急に萎んでいった感じがしました。

 

なんて日だっ! 一体今日は、なんて日だっ!!! (目をつぶりながら絶叫)

 

時は過ぎまして、「卓球コラムニスト」の例のブログのコメント欄を見返してみると、他にもこんなコメントがありました。

「ブログというのは個人的なことを書くものだと思っていました。読者がその記事をつまらないと思ったら、見なければいいわけで(略)」

「10年以上続いているこのブログにはこういった感じの記事はしょっちゅう出てきています。もし卓球王国側の趣旨と合っていないのなら何年も前に注意されていて、今回の記事は載っていないでしょう(略)」

 

そもそも、私のほとんどのブログは卓球とは全く関係の無い記事しか書いていないので、もし卓球王国さん側の趣旨と合っていないのなら、私は早々とお叱りとゲンコツの一つでも喰らっているはず。

しかし、お叱りもゲンコツの一つも喰らっていないという事は、つまりそれは……!

 

それにしても情けない。そして恥ずかしい。今まで「いちいちこんなこと的なブログ」しか書いてこなかった我が手を、軽蔑した目でじっと見た。すると、

 

バチーン!

 

急にその手が私の右頬をぶった。思わず目が点になり、鳩が豆鉄砲喰らったような顔をしてみたら、反対側の頬もバチンとぶってきた。

 

「この野郎! この野郎! このバカ娘めっ! 今までこのブログを読んで下さった全ての読者さんに謝れっ!」

 

自分の手に両頬を叩かれ、罵声を浴びさせられた。すると今度は自分の足が自分の頭をガンガンと踏みつけてきた。こりゃあもうたまらない。

私は身体を丸めて地面にうずくまり、必死に両腕で頭部をかばいながら「ごめんなさい! ごめんなさい!」と泣き叫んだ。

「ごめんなさいで許されたら、警察なんていらねーんだよっ! っけ!」

 

「そろそろブログを書こう、書き始めよう」と思うものの、「書き始めるきっかけが無い」等と言い訳をして、なかなかブログを書き始めないこの手をじっと見た。

 

バチン!

 

 

さて、ブログを書き始めようと思ったきっかけは3つあります。

1つ目はフェイスブックに「西田先生、お元気でいらっしゃるかなー。今も先生のブログの破壊力にまさるブログにであったことはありません」というメッセージが届いた事。気にかけていてくれている人が居る。有り難い。嬉しい。素直にそう思いました。

2つ目。例のコメントへの(勝手に)リベンジ。5歳から始めた卓球。もうすぐ34歳になりますが(本当は永遠の17歳)、この長い年月を活かし、私だって卓球に関するブログを書けるはず! という自分に対する期待。

3つ目は、現在ペルーに住んでいますが、斯く斯く然然(かくかくしかじか)ありまして、家にのんびりと居る時間が増えた。理由は追って報告致します。

 

以上、再び皆様のご機嫌をちょくちょく伺いに参りますので、お手柔らかにどうぞよろしくお願い致します。

見事に「シゲオ」と書いてくれたのでした。

旦那レンソの中学生時代からの友達、「カッテリン」という名前の女性がいます。

彼女の母親は中国人、父親は日本人で、その名も「シゲオ」。

孫(カッテリンの息子)の長男は「ハルオ」、次男は「ノブオ」と言います。

家族全員でペルーに住んでいますが、シゲオは日本人なので、もちろん日本語がペラペラです。

ペルーでは日本語を話す相手がいないので、日本語を忘れかけている私にとって日本語のリハビリをする最大のチャンスかと思いきや、つい、癖でスペイン語が出てしまい、いつもチャンスをものに出来ません。

 

シゲオの69歳の誕生日パーティーが彼の家で行われ、我々もご招待を受けましたので、手土産にケーキを買って持って行く事にしました。

 

ケーキ屋さんで「私が食べたいチョコレートケーキ」を注文し「プレートに何か書きますか?」と聞かれたので「はい。それでは『シゲオ』と日本語で書いて下さい」と注文してみました。

 

メモ帳に「シゲオ」と私が書いて、ペルー人が真似して書いたのがコチラ。

見事に「シゲオ」と書いてくれたのでした。上手。とっても上手。

 

誕生日パーティーは盛大に行われました。料理が得意なシゲオ。

彼の手料理がテーブルを埋め尽くします。

唐揚げ、沖縄そば、春雨サラダ、餃子、カレー、サーターアンダギー、さつま芋を原料にしたお餅。他にも色々とありましたが、全てシゲオが一人で作りました。

「ここぞ!」とばかりに日本食を食べる某日本人女性。

シゲオの手料理はとっても美味しいんです。来年の70歳の誕生日パーティーが、今から待ちきれません!

みんなが持ち寄ったケーキ。5個もある!

大勢の人がシゲオの誕生日を祝いました。

平野早矢香ちゃんのお父さん、お母さん、それだけは止めて下さい。

前回のブログで、「城山杯の女子の優勝者(私)の名前が書いてあるヒラヒラしたやつが、男子の優勝カップに20年間も間違えて付けられている」というトリビアをご紹介致しました。

 

すると翌日、平野早矢香ちゃん、もとい、「卓球の鬼」のお母様からこんなメッセージが届きました。

 

「いっちゃーん、上越のときは会えて嬉しかった!

さっき、うちの旦那さんがいっちゃんのブログ見てて。

ごめーん、なんか城山杯のペナントがとんでもないことになってたようで。

申し訳ない。来年カップが戻ってきたときにすぐにつけ直すね

うちの旦那さん、あのときカデット男子優勝の小森くんのペナントが女子に付いてたりして~なんて言ってます。その頃カップを反対に渡してしまったのかもね~

許して~」

 

 

お母さんっ!

 

 

あれ?

 

「知り合いの間で話しのネタになるかもしれないので、別に付け替えなくても良いです」って、ブログに書きましたよね?

 

それなのに、「来年カップが戻ってきたときにすぐにつけ直すね」なんて、それじゃあダメなんです(泣)! それじゃあ面白くないんです(泣)

 

 

泉 「全然大丈夫ですよー! むしろ、つけ直さなくても。ブログにも書きましたが、話しのネタになると思うので(笑)」

 

卓球の鬼のママ 「確かにネタにはなるね(笑) って笑ってる場合じゃないが」

 

泉 「むしろ、そのお陰で三木朋子ちゃんからメッセージが来たり、ブログに載せることが出来たので!」

 

卓球の鬼のママ 「言い訳すると、その頃はまだ城山の保護者だったから、運営には携わってなかったからなあ~なんちゃって」

 

泉 「卓球王国のブログタイトルに「城山杯」って載せられたし、お互い良しとしましょう!(笑)」

 

すると、卓球の鬼のママから、ウサギとヒヨコが「YES!!」とガッツポーズをしているスタンプが送られてきました。

 

泉 「でも、本当に付け替えないで大丈夫です! どこまで私の名前が男子のカップに付いていて、皆がそれをトリビアとして話しのネタに出来るか、一緒に見守って行きましょう(笑)  ご丁寧にメッセージをありがとうございます!」

 

卓球の鬼のママ 「了解しました! 同じく私も見守ります!」

 

 

せっかくこうやって面白いネタ(女子の優勝者の名前が書いてあるヒラヒラしたやつが、男子の優勝カップに20年間も間違えて付けられている)が舞い降りて来たのに、それを普通に戻しちゃうなんて、もったいないと思いませんか?

 

それにしても、優勝カップの取っ手に付けてある「名前が書いてあるヒラヒラしたやつ」の事を「ペナント」って呼ぶんですね。知りませんでした。

城山杯の男子優勝カップのトリビア

神奈川県の岸田卓球場の岸田さんちの次女、三木朋子ちゃんからある日こんなメールが来ました。

 

「いっちゃん元気? 長男の隼が去年城山杯のホープスで優勝してカップをもらったんだけど、いっちゃんて男子に出てたの?

 

えっ?

昔から男の子っぽいと言われていたし、男の子とよく間違えられていたけれど、さすがに男子の部で試合は出ていないはず……。

 

もし私が間違えて男子の部に出ていたとしても、私ほどのバカでも、自分の対戦相手が男の子か女の子かくらいは分かるはず(多分)。

「あれ? 私は確かに女だから、女子の部で試合に出なきゃダメじゃね?」って。

対戦相手も気付くはず。「あれ? 俺の対戦相手……女じゃね? おかしくね?」って。

 

そもそもこういう大会に出るって事は、クラブの責任者がエントリーするってことでしょ?

えっ? まさかリトルキングスの先生は、私の事を男の子だと思っていたわけ?

そんなまさか。

じゃあ、なんでこういう事になるの?

 

……普通に、城山杯の関係者の方が間違えたんでしょうね。

 

優勝カップの取っ手に付ける「名前が書いてあるヒラヒラしたやつ」を、男子のカップと女子のカップとで、付け違えたのでしょう。

平成10年って記入されているので、ちょうど20年前になります。

今年の私が34歳だとして(本当は永遠の17歳だとしても)、20年前は14歳になります。

 

っていうかさ、20年間も男子の優勝カップに女の子の名前がず~~~っと付いていて、今までず~~~っと気づかれなかったって、どういうこと? 

 

あ、別に付け替えなくても良いです。私的に面白いと思っているし、知り合いの間で話しのネタになるかもしれないので。

 

っていうか、私、城山杯で優勝してたんですね。

おめでとう、当時の私。

ところで、女子の優勝カップには誰の名前が付いているのでしょう?

結構気になります。

 

コーチの私が初歩的なミス!

12月半ばから始まっていた子供たちの長期休暇が、2月28日をもってついに終わりになりました。

3月1日、学校の始まりです。

 

長期休暇中は二部練習でしたが、3月からは一部練習。

学校が終わってからの夕方4時半~8時半になります。

 

しかし、何人かの大学生は午前中も練習出来るため、その何人かだけ午前も練習を行います。10時半~1時。

 

ポルトガル人の総合監督に「イズミは午前中、多球練習を手伝ってくれ」と言われたので膝をポンと叩き、「承知致しました」と了解。

 

「では明日、3月1日から新しい時間帯になるけど、これからもよろしく」

「こちらこそ、どうぞよろしく」

 

翌日、3月1日。

「多球を出して、選手達の強化に一役買うぞ!」と、意気込んで指定された時間帯に体育館に向かうと、そこには誰も居ませんでした。

体育館を間違えちゃいました。サッカースタジアムにある体育館ではなく、総合スポーツセンターの練習場でみんな練習していたそうです。

 

……なんでこういう事になるの(涙)? 昨日、監督とちゃんと話しましたよね?

場所も聞きましたよね? 私、「サッカースタジアムですよね?」って、聞きましたよね?

え? 聞いてないって?

 

勘違いっていうか、思い込みっていうか、人の話をちゃんと聞いてないっていうか……。

 

初歩的なミス!

 

しかも、コーチが。コーチの私が初歩的なミス!

 

恥ずかしい。嗚呼恥ずかしい、恥ずかしい。

趣味の卓球で夫婦喧嘩をしても、何の得にもなりません。

旦那レンソは予選リーグを1位通過したものの、決勝トーナメント二回戦で負けました。

 

レンソはテニス肘で全く練習が出来ず、そのくせ大会の4日前に、なぜか違う種類の新しいラケットとラバーに変えていたのです。

 

「テニス肘で練習が出来なかったし、ラケットとラバーを大会の4日前に変えて、ちゃんと準備が出来なかったから負けた」と会う友人全員に言っていました。

 

「言い訳をしたらこの手であの世行きにしてやる」と意気込んでいた私ですら「怒る」を通り越して呆れてしまい、なんの言葉もかけられませんでした……。

 

旦那よ……。まぁイイや別に。趣味の卓球ですからね。

「仕事の気晴らしに、ちょっと卓球」というレベルですから、もう何も言う事はありませんよ。旦那の趣味の卓球で夫婦喧嘩をしても、何の得にもなりません。犬も喰わぬ。

……ゴキブリだったら食べるかもしれないけどね。アイツら、何でも食べますからね。

 

 

外国の卓球大会といえば、卓球以外で何かネタになる事が絶対に起こります。

例えば、お決まりの停電。

野良犬や猫が体育館を走り回る。

鳩が体育館を飛び回る。

雨で体育館が雨漏りする。

 

今回の大会は鳩が体育館を飛び回りました。空いてるコートにも降りてきました。鳩よ、そこには豆は落ちていないよ……。

 

まぁ、鳩位のレベルはペルーでは当たり前ですよ。

それでもこうやって写真を撮る人が居るという事は、「クスッ、鳩が体育館に居るぜ(笑)」という笑いのネタになっている、という事でしょう。

↑ペルー人のおじさんが鳩にカメラを向けています。

 

一般女子の決勝戦。

ラケットを破損し、オリンピックを惜しくも逃したキューバ人のリーシー選手(もうすぐ33歳) VS すまし顔が得意なペルー1位のアンヘラちゃん(23歳)。

4-0でリーシーの勝ち。

 

一般男子の決勝戦。

ブラジルからの参戦、左ペン裏のイスラエル選手(41歳) VS ペルー1位のブライアン選手(28歳)。

4-1でブラジルのイスラエル選手の勝ち。

なんとイスラエル選手は20年前にもこの大会に出場し、一般男子で優勝しているそうです。恐るべし41歳……。

 

気を取り直し、友人の決勝戦のベンチコーチに入る旦那レンソ(写真右下)。

友人は見事に0-4で敗れたのでした。

バレンタイン。まさかこのプレゼントは「不倫」とかそういう系のやつ?

ペルーの、フアン 二十三中学校主催のオープン戦を観覧席でボケーっと見ていたら、とある16歳のナショナルチーム選手のお父さんが挨拶しに来ました。

 

年齢は恐らく60代前半。少し禿げており、少し小太りで、チョビ髭を生やし、メガネをかけています。

 

「先生、ごきげんよう」

「あら、○○君のお父さん、ごきげんよう」

 

この日はちょうどバレンタインデー。2月14日。

日本では女性が男性にチョコレートをあげるのが主流ですが、ペルーでは男性が女性に花束や「好きだよ」等と毒々しくプリントされたハート形の風船をプレゼントします。

ペルーでは「愛情」だけではなく「友情」もお祝いするので、友達同士で「友情の日、おめでとう!」と言ってハグをしたり、フェイスブック等で「おめでとう!」等とメッセージを送り合います。

 

選手のお父さんと時候の挨拶を軽く済ませると、彼が手提げ袋からよそよそしく箱を取り出しました。

 

「先生、これ、どうぞ」

「あら何かしらこれは?」

箱を持ってみると、なにやらずっしりと重い。

 

まさか。お父さん。

 

○○君のお父さん。

 

2月14日、バレンタインデーにプレゼントなんて……。

 

ダメですよ。私が人妻という事を知っているでしょう?

貴方も奥さんと二人の子供を持つお父さんでしょう?

しかも試合会場の観覧席で堂々とこんなものをプレゼントするなんて、何という感覚の持ち主!

 

恐る恐る箱を開けてみると……

 

 

私 「……。」

 

 

……バレンタインデーに関係なく、不倫とかそういう系の方じゃなくて本当に良かった。

 

っていうか、何コレ?

 

「先生、これは私が手作りした回転をかけるのを覚える道具です。身体の使い方を覚えるのにも役に立ちます。中国では上級者がこういうのを使っているのをビデオで見ました。日本でも使われていると思いますが、どうでしょう? 是非、先生もこれをお使いになって下さい。差し上げます。ほら、ここ、バネになっていてビヨンビヨン動いて元に戻るんですよ。卓球台が無い所でも椅子なんかに置けば十分使えますし、持ち運びも楽なんです。それから……、そして……、ここが……、さらに……」

※銀色のバネがビヨンビヨンと動きます。

 

そういえば、この家族、アレでした。すごくプレゼントしてくるんでした。

最初はお母さんでした。「先生、突然ですが、これをどうぞ」と、本当に突然こんな箱をプレゼントしてきて、

 

○○君は漫画「ワンピース」が大好きだというので日本に帰った時にトニートニー・チョッパーのぬいぐるみを買ってプレゼントしたら、次の日「イズミ、これをどうぞ」とお返しに牛をプレゼントしてくれました。

 

牛!

っていうかこの牛、笑えるくらいかっこいいんですけど!

 

で、今回はお父さんからプレゼント。

 

○○君には歳の離れたお姉さんが居るというので、次はお姉さんからのプレゼントで決まりだな。

名前も知らないし、会った事もないけど!

試合で負けた言い訳が「だって、練習しなかったんだもん」

現在、2月10日(土)~17日(土)まで、ペルーの中華系の中学校「フアン 二十三中学校」による卓球オープン大会が行なわれています。

 

参加国はペルー、中国(といってもペルーに住んでいる中国系人)、ブラジル、エクアドル、チリ、キューバ、パナマ、ボリビア、そして日本。

(写真提供:渡辺拓也氏)

 

え? 日本?

……一体誰が出るんだろう? ま、まさか、私?

いえ、私は試合に出ませんよ。じゃあ誰が出るんだろう?

JICAボランティアの松山新之助くん?

ペルーで活動していた時はこういう大会に絶対に出てましたけど、彼ならもう帰国しましたよね?

じゃあ渡辺拓也くんかなぁ? モケグア県でコーチをしているけど、彼はそんなに試合に出るタイプじゃないのにな。

 

誰かに「イズミ、(勝手に)試合登録しておいたからね」なんて言われたらぶっ殺すよ?

あらやだ私ったらごめんなさいね。育ちの良さがバレてしまいますわね。おほほほ。ごきげんよう。

 

二年前の同じ大会で旦那レンソとミックスダブルスを組んで準優勝しましたが、未だに「二度とレンソとはダブルスを組まない!」という固い意思は貫かれたまま。(去年のチリで行われたマスターズ大会は除く)

 

そして一般女子シングルスでは優勝。相手はかつて「天才」と呼ばれていた、問題児のフランチェスカちゃん。色々と問題を起こし、現在はペルー卓球協会から離れています。

セットカウント4-2、最終セットは11-2で勝ちましたがその印象が強かったらしく、「今年も大会に出るの?」と全員に聞かれます。

 

「いえ、出ませんよ」と言うと「この大会、イズミにはレベルが低すぎるから、試合に出てもつまらないんでしょ?」と言われますが、そんなことありません。

 

ペルーのランキング1位、「すまし顔」が得意なアンヘラちゃんに今まで1セットも取られた事がなく、ペルーで卓球の個人コーチをしてお金を稼いでいるキューバ人の現役卓球選手、オリンピック予選決定戦で負け(勝っていたのにラケットを台にぶつけてラケットが破損、スペアを持っていなかった為、そこら辺にいる観客のラケットを借りて続きをプレーし、見事に逆転負けをした)、惜しくもオリンピック出場を逃したリーシー選手に、この前練習試合で2-0で簡単に勝ち、ナショナルチームの練習試合で男子のリーグ戦に突然入れられたにも関わらず優勝しても、「この大会、私にはレベルが低すぎるから、試合に出てもつまらない」という事ではないんです。まじで。

 

ではなぜ私がかたくなに試合に出ないのかと言いますと……

 

そもそも私、選手じゃないんです。コーチなんです。ペルーナショナルチームのコーチをしているんです。

 

日本だったら、例えば田勢邦史さんがナショナルチームの選手たちが出ているオープン戦に出ますか? っていう話しなんですよ。

 

っていうか、もし試合に出るとするなら、ちゃんと練習して準備(勝つための最大限の努力を積む)しないと。だって、絶対に負けたくないんですもん。

 

卓球をなめないで欲しいですよね。試合は誰が勝つか分からないから面白いんでしょう? 私だって負けるかもしれない。

もし私が「練習しないで負けたら」どうなると思います?

ちゃんと練習して負けたら「あぁ、負けちゃった」で終われるんですけど、練習しないで負けたら「だって、練習しなかったんだもん」って言い訳が私の口から絶対に出るんですよ!

 

これ、私が一番嫌いなやつ!

 

しかも練習してようが、してなかろうが、そんなの「対戦相手には全く関係の無い事」ですしね。勝ちは勝ちで、負けは負け。そして私は練習していません。

 

試合で負けて、言い訳が「だって、練習しなかったんだもん」。

 

そんな言い訳聞きたくないし、絶対に言いたくない。なので、私は試合に出ません!

 

 

旦那レンソはいよいよテニス肘になり、今も病院に通ってリハビリ中。

練習も全然出来ず、体重も増えるいっぽう……。

そのくせ30代の部にエントリーし、ご両親が応援に駆け付け見守る中、昨日見事に予選を1位で通過しました!

明日は決勝トーナメントです。

 

30代の部にもブラジルやチリからの参加者がおり、優勝は難しいですが、どこで負けたとしても「テニス肘で練習が出来なかった」なんて言い訳を言った日にゃ、この手であの世行きにしてやります。

夜の7時半にベッドに横になり、寝に入る

「時間は作るもの」とよく言いますが、あなたはどのような時間の作り方をしていますか?

 

最近ブログの更新をしていなかったので、何人かの人はさぞ心配して下さったことでしょう。……えっ?

 

2018年も、ペルーの卓球ナショナルチームコーチを務めさせて頂いております。

 

12月中旬から3月辺りまで、子供たちは「学校が休み」になっております。

つまり、英語で言う「バケーション」ってやつです。日本語で言うと「休暇」。

スペイン語ですと「バカシオネス」となります。

 

学校が休みなので、卓球の練習はもちろん二部練習。

月~金

女子20人 9時-12時、1時半-3時半 (合計5時間)

男子15人 11時-1時半、3時-5時半 (合計5時間)

 

西田コーチ1人 9時-5時半 休みなしのぶっ続け (お昼ご飯は練習場で食べつつ、1時半からの女子の練習にも目を光らせます)

まぁ、普通の一般的な会社員の勤務時間ですね。しかし、私にはお昼休み時間がありません!

 

土曜日

女子 8時-11時

男子 10時-1時

 

西田コーチ 8時-1時

 

 

ポルトガル人のコーチ兼総監督は彼の休暇でポルトガルに帰国していたので、その2週間の間、私一人で練習をみていました。

 

朝の9時に練習場に着くという事は、7時半にはタクシーに乗っていないといけません。

 

「えっ! タクシーで1時間半もかかるの?」とお思いでしょうが、違います。

7時半にタクシーに乗ると、8時20分には着きます。50分で着くという事ですね。

ところが8時にタクシーに乗ると9時過ぎに練習場に着く事になるんです。なぜでしょう。

 

渋滞が凄いんです(泣)。

 

渋滞が無い時だと30分で着くはずなのに、朝はいつも渋滞するので早め早めに出発します。

 

5時半の練習が終わるとタクシーに乗るのが夕方6時前、家に着くのが7時前。

 

「やっと家に帰られる!」と思っていると、たまに旦那のレンソから「今日は僕も練習したいから、いつも練習している中学校にイズミも来てよ!」と誘われ、「疲れてるからイヤだ」と断ろうとすると拗ねるので、身体に鞭打って旦那の待つ中学校へ向かいます。

 

レンソの卓球のお誘いが無く、晴れて家に早く帰れた時、夜の7時半にベッドに横になり本格的に寝に入った時はさすがにビックリしました。赤ちゃんかよっ!

 

 

こんな生活が、子供たちの学校が始まる3月まで続きます。

我ら青森山田学園、青森山田高校時代の写真

前回のブログの更新後、原雅彦の奥さん、つまり私の大学の後輩、ちーぼーからこんなメッセージが届きました。

 

 「西田さんブログに原の名前ありがとうございました。

お礼に、と言ってはなんですが……。坂本竜介さんいないけど(笑)」

 

こっ、この写真はっ! 我ら青森山田学園、青森山田高校時代の写真ではないですかっ!!!

 

この写真を送りつけるって事は、これは「この写真を使って次のブログを書いて下さい」と言っているに違いない! 書くよ、書きますとも!

 

「いえ、西田さん! 私、そんなつもりで写真送ったんじゃないです!」というちーぼーの声が聞こえてきますが、その話はここに置いといて、と。

 

左からライオンの赤ちゃんのような顔をした森田有城、

ゲームが大好きだという原雅彦、

高校生の時からファンが多かった高木和健一、

青森山田高校時代、女子寮でウサギを一時保護していた時、ウサギの耳を掴んで持ち上げ、私をハラハラさせた張良、

そして「出っ歯野郎」、「左のペンの奴」、「投げ上げサービスの奴」等と(恐らく)呼ばれていた、肌がとても白いこの女の子は誰?

持ち前の出っ歯を口をキュッと閉めて隠し、柴犬のようなクリクリとした目でこちらを見ている肌がとても白いこの女の子は誰?

当時は練習で髪を切りに行く時間も無かったため、卓球部の女子は自分で自分の髪の毛を切っていたので、写真に写っている女の子のような結構短めな前髪になるのはいつものこと。っていうか、しつこいようだけど、肌がとても白いこの女の子は誰?

 

あぁ、これは……、私かな? 肌が白いって、そりゃそうだ。外に出て日差しを浴びる事なんて高校3年間無かったですもん。

 

毎日毎日、

女子寮 → 食堂() → 学校 → 食堂() → 卓球場 → 食堂() → ジャスコ → 女子寮 

の行き来のみ。

特にジャスコには「ジャスコなんて、もういいよ!」っていうくらい毎日足しげく通ってました。それはそれは健気に。食べ物とか飲み物を買いに。あ、ジャスコって言うのは青森県で唯一の心のより所、大型スーパーのジャスコのことです。しばらくして近くにイトーヨーカドーも出来ましたが、ジャスコの方が私は行きやすかったです。

 

毎朝「朝練」と称して卓球部女子全員でランニングもしていましたが、朝の6時からでしたから、太陽の日差しなんて微々たるもの。

 

現在はグアテマラ滞在4年、ペルー2年半の月日が流れ、私の肌は東北出身のようなつるつるスベスベの「ゆで卵肌」から、なんとも表現しがたい「ドス黒い肌色」へと変化したのでした。

 

「なによりすごいのが、西田さん15年前と全然変わってないです」

 

と、後輩は気を遣ってかこんなコメントをくれましたが、さて、それはどうかな?

 

おまけ。

吉田安夫監督も写っておられます。