卓球王国 2024年1月22日 発売
バックナンバー 定期購読のお申し込み
インタビュー

宮古島の強さの秘密。キーパーソン・池間祐治にインタビュー

沖縄本島から南西へ約300kmの位置にある宮古島。青く美しい海に囲まれた南の島には毎年多くの観光客が訪れる。しかし、マリンスポーツこそ盛んなれ、室内にこもって卓球に精を出しているとは誰も思わないだろう。ここ数年、沖縄県のチャンピオンが宮古島から誕生していることも興味深い。

なぜ宮古島で強くなれるのか、なぜ宮古島で卓球なのか。

宮古島出身の選手としては、初の全国チャンピオン(全日本カデット14歳以下の部)に輝いた池間祐治、彼がキーパーソンだ。

 

娘が小学校に上がる時に

仕事を辞めてノープランで宮古島に帰った。

どこかで地元に帰るきっかけを探してたんだと思います

 

 

●池間さんと卓球との出合いを教えて下さい。

 私は宮古島で生まれ育ち、小学3年の時に卓球に出合いました。夏休みに宿題をやらずに、ゲームばかりして家でゴロゴロしていたら、「親父の知り合いが卓球教えてるから遊びがてらやってこい」と言われて、卓球場に行ったんです。たまたま同じクラスの子もいて、卓球を習うようになりました。今の子たちに比べると始めるのは遅かったと思います。宮古島にはクラブがひとつしかなく、宮古南星(現在は宮古島ホープス)でスタートしました。

 毎日やっていましたね。学校から帰ってきたら、すぐに卓球場に行ってました。他にも習い事をしてましたが、全部辞めて卓球にのめり込んでました。

 小学5、6年の時に全日本ホープスでベスト8に入って、それがきっかけで強豪校から誘われて、中学から愛知に行くことになりました。 

 

●中学から親元を離れて愛知に行ったんですね。

 愛工大附中、愛工大名電高、愛知工業大へ進学しました。中学の時に全日本カデットの部(14歳以下)で優勝して、それが宮古島出身の選手で初の全国チャンピオンだったみたいです。でもその後は特に成績は残してません。東京選手権ジュニアの部で3位、インターハイもダブルスに出た程度です。

 実は大学を卒業したあとに、沖縄に戻る予定でした。琉球銀行に入る予定だったんですが、銀行が厳しい状況になって、直前でダメになってしまったんです。何も就職活動をしていなかったので、監督に相談したら「この時期にか?」と呆れられましたね。そこで愛工大の先輩がいた岐阜にある天龍工業にお願いしたら、入れさせてくれました。天龍工業は飛行機やバスなどの乗り物の座席シートを作っている会社で、全日本実業団選手権などに出場しています。でも2年で引退して、その後は富山に転勤。富山に行ってからは全然卓球はやっておらず、仕事一本でした。

 

●それがなぜ、宮古島に戻ることになったのでしょう?

 会社に入って10年目、富山に移って7年目くらいの時に、ふと「このまま卓球をやらない生活が続いていいのかな」と思うようになったんです。設計主任にもなっていたので、会社に残るという選択肢もありましたが、地元に戻ってもいいのかなと考えました。ちょうど上の娘が小学校に入学する時期だったので、それに合わせて宮古島に戻りました。でも今考えると、地元に戻るきっかけをどこかで探していたんだと思います。

 

●戻って卓球の仕事をしようと思っていたんですか?

 それはまったくなくて、思いつきのノープランで宮古島に戻ったんです。家族がいるのに仕事のあてもなかった。今思えば恐ろしい決断ですよ。それを許してくれた奥さんには感謝しています。

 だから宮古島に帰ったら、しばらくは兄の仕事を手伝いながら、職探しをしていました。そうして見つかったのが、今働いている下水処理の会社です。私は下水の維持管理の部署で働いています。

 

●池間さんが卓球の指導をするきっかけは何だったのですか?

 私も小さい時に習っていた宮古南星に、自分の娘を習わせに行かせたのがきっかけでした。小学1年生でスタートして、2年の時に全日本バンビの部に出場することになり、親として引率し、ベンチコーチに入りました。そこで指導の火がついたんですよ。それまで娘の卓球について私が指導をしたことはありません。だから親が卓球をやっているなんて思っても見なかったでしょうね。

 はじめは宮古南星で指導していましたが、自分でもやりたいなという欲が出てきたので宮古島卓球クラブを立ち上げました。7年くらい前ですね。それでも現在、宮古島にはうちと南星のふたつしかクラブはありません。

 

●宮古島卓球クラブは主にジュニアですか?

 小学生と中学生がほとんどです。私が仕事をしているので、仕事が終わったあとの17時半〜20時半までが練習です。だから私が夜勤の時は練習はありません(笑)。ひとりでやっているので、ほぼ休みはないですが、奥さんも卓球をやっていたので、理解はしてくれています。

子どもたちを指導する池間

関連する記事