卓球王国 2024年1月22日 発売
バックナンバー 定期購読のお申し込み
インタビュー

四カ月のつもりが四半世紀。強豪チームを陰で支える「トンさん」の指導者人生

●中国ナショナルチームを引退後、来日してからほぼ四半世紀。指導のホームグラウンドである美崎クラブをはじめ、愛工大名電中・高や愛知工業大、実業団のエクセディなど、あらゆるカテゴリーで指導を行う董崎岷。

 少し言葉を交わせば、明晰(めいせき)な頭脳の持ち主であることはすぐにわかる。選手の個性を見抜き、選手との信頼関係を第一とする生粋のプロコーチ、「トンさん」の実像に迫った。

 

男子JNT(ジュニアナショナルチーム)でもコーチを務める董崎岷(写真は18年世界ジュニア)

 

−まず、董さんが卓球を始めたのは何歳の時ですか?

 卓球を始めたのは小学2年生、8歳からですね。きっかけは家のすぐそばにあった小学校が、伝統的に卓球で有名な学校だったこと。巨鹿路第一小学校という学校です。陸元盛さん(元中国女子チーム監督)とか、小山ちれさん(中国名:何智麗/元世界チャンピオン)とか、有名な選手がたくさん出た学校です。
実は卓球を始めようという気持ちはあまりなかったんですけど、卓球の指導で有名な先生がいたし、最初はクラスの半分くらい卓球部に入っていた。そこから小3、小4と学年が上がるにつれてだんだん人数が絞られていきました。小3の後半くらいには毎日4時間くらい練習していました。

 

−選手時代の戦型はシェークドライブ型ですか?

 最初はペンの表だったんですよ。当時はまだペン表の世界チャンピオンもたくさんいました。でも2年くらいやって、先生に「シェークの裏裏のほうがいいよ」と言われました。
小さい頃からずっと江加良選手(85・87年世界チャンピオン)が好きだったんです。87年のニューデリーでの世界選手権で、ワルドナー(スウェーデン)とシングルスの決勝をやって、リードされていたのに挽回して勝った。めっちゃ感動して、涙が出ましたよ。プレースタイルに関係なく、ああいう選手になりたいと思っていましたね。

 

−当時は選手として、どれくらいのレベルを目指していたんでしょう?

 中国でプロ選手になったら、将来の目標はひとつしかない。世界チャンピオンですよ。それはチームのコーチや監督からも必ず言われますね。
ぼくは15歳の時、上海市チームから中国ナショナルチームの2軍に入りました。2歳年下に孔令輝と劉国梁がいて、このふたりがぼくらの年代の看板選手だった。もちろん彼らはすごく良い選手だったけど、他の選手はそれだけチャンスがなくなるということ。当時は国際大会も少なかったし、中国ナショナルチームも上のレギュラー5人くらいは出られるけど、その他の選手にはほとんどチャンスがなかった。ぼくは現役の最後のほうにオーストリアオープンとクロアチアオープンに出て、オーストリアオープンは初めての国際大会だから、めっちゃ緊張しましたね。クロアチアオープンではまあまあ良いプレーができて、3位に入りました。

 

−バリバリの中国ナショナルチームの選手だったんですね。引退は何歳の時ですか?

 中国ナショナルチームには23歳までいました。その前、足を傷めて手術を受けて、4カ月くらい練習ができない時期があったんです。中国はナショナルチームでの競争も厳しいし、長くリハビリをやっているわけにもいかない。もう現役を続けるのは厳しいかなと思った。
その時、上海市チームの総監督が、ドイツ・ブンデスリーガでプレーしていた施之皓(元中国女子チーム監督・ITTF副会長)さんでした。それで、施之皓さんの紹介で、ブンデスリーガに行くことを考えていたんです。でも、全中国運動会が10月に終わって、ブンデスリーガが開幕するのは翌年の9月からだから、1年近く空いてしまう。

ちょうどその時、青森山田の吉田安夫先生(故人)が、上海に合宿に来たんです。ちょうど吉田先生が青森山田に来た年で、「5月から8月のインターハイまで青森山田で臨時コーチをやってくれないか、それからドイツに行ってもいいから」と言われました。まだブンデスリーガのチームとも契約はしていなかったし、行ってみてもいいかなと。

 

−1997年の京都インターハイの前ですね。青森山田がオール1年生で衝撃の優勝を果たした大会です。

 吉田先生と相談して、目標としては3年目にインターハイで団体優勝しようと考えていたんです。宋海偉(吉田海偉)、三田村(宗明)、田㔟(邦史)、加藤(雅也)と1年生の主力が4人いて、中学時代の成績では全国で一番上ではなかった。だから1年目で優勝したのは本当に予想外でしたよ。プレースタイルとしては、まだオールフォアに近い時代でしたけど。
吉田先生の練習はフットワークや基礎練習を重視していたけど、他の学校と一番違っていたのは練習の質。青森山田の練習はいつも緊張感があったし、質が高かった。吉田先生の一番すごいところは卓球への情熱ですよね。もう60歳(当時)を超えていて、普通その歳だったら自分の好きなことをやりますよ。アスリートを教えるのはプレッシャーもあるし、すごいなと思いました。

関連する記事