水谷隼という選手を語る時、青森山田という切磋琢磨する厳しい環境、そしてその才能に磨きをかけたブンデスリーガでの経験が、彼に大きな影響を及ぼしているのは明らかだ。
そして、高校卒業後、明治大学という新しい環境に飛び込み、北京五輪を経験したあと、昨秋は世界最強の中国超級リーグの洗礼を受けた。彼の天性はより鋭利に研ぎ澄まされ、中国での体験がさらに人間力を強固にしたのかもしれない。
また、昨年9月のルール改正でノングルー・ノンブースター時代になり、用具に悩みながらも大舞台で見事にアジャストし、ラリー戦での安定感と多彩なボールさばきは際立っていた。
●——過去2回の優勝で受けた重圧と今回では違うものだった?
水谷 今までで一番プレッシャーがありました。追われる立場だし、トーナメントなので1回負けたら終わりですから。
●——全日本は選手にとっても、一般の人、マスコミにとっても特別な大会です。この大会の重さとは何だろう。
水谷 単に誰が強いのかを証明するための場です。やっぱりチャンピオンで居続けたいですね。優勝したらその1年間は全日本チャンピオンと呼ばれて気分も悪くないので、ずっと言われたいです。一度優勝すると余計にそう思う。全日本は優勝しても、次に負けたら過去の人という感じです。世界選手権やオリンピックではチャンピオンになったら、ずっと世界チャンピオンだし、オリンピックチャンピオンだけど、全日本はその年に優勝した人がチャンピオンであり、期限付きのチャンピオンという感じですね。
●——自分でプレーしていても、いつもの自分とは違う自分がそこにいるんだろうか。
水谷 集中力はかなり高いですね。出場選手中、自分が一番強いだろうし、自分がしっかりすれば優勝できるという位置にある大会なので、そういう意味では自分が頑張れば、と思う。
●——この1年間は、広州での世界選手権もあったし、オリンピックもあったので特別な1年間だったのかな。
水谷 結構長かった。広州の世界選手権からは長く感じた。いろんな経験ができましたね。オリンピックにも行けたし、中国の超級リーグにも行けたし。
●——今までブンデスリーガも経験しているけど、超級リーグは特別?
水谷 卓球選手としてよりも、人間として成長しました。ひとりで生活して、言葉も通じないし、食べる物もあんまりないし、毎日体調が悪くて、移動ばっかり。でも最初からそういうのを望んで、去年は人一倍苦労しようと思って中国に行きました。
そのとおりで苦しかったけど、行って良かった。ただ卓球をやっている時は楽しかった。行く前からある程度予想できたし、そういう苦しいことを乗り越えないと一流選手にはなれない気がしていた。ひとりで海外に行くことが大事だと思った。詳しいことは自分の中にしまっておきますけど、いろんな良い経験をしました。
●——それは目に見えないことではあるけれど、自分としては何かを得た感覚がある?
水谷 技術とか戦術のことではなくて、人間として得ることはありました。試合もすごく良かったです。毎週のように強い選手とできた。学ぶことは多いですね。
●——8月のオリンピックが自分を変えた部分は?
水谷 悔しさだけが残っています。でも、その悔しさが自分のバネになっています。負けたことでモチベーションも上がった。北京で負けて、まだまだ上を目指さないといけないという気持ちになりました。
●——自分から見て、水谷隼という選手の強さとは何だろう。
水谷 身体能力は高いと思います。はじめはできないけど、覚えるのは早い。何事にも一生懸命なんですよ。勝負事は好きですね。技術的には、いろんなテクニックがほかの人よりもあるし、普段の練習の時からいろんなことに取り組んでいます。まじめにやるよりも、気楽にやっていたほうが覚えることが多い。
●——上から命令されるのは好きじゃないでしょ? 自分で工夫するのが好き。
水谷 そうですね。卓球のことで言えば、(命令されるのは)好きじゃないですね。
●——今年はこれに挑戦する、というものは?
水谷 もしも違う海外の国からオファーがあったら行ってみたいと思います。
●——大学生活も経験してどうだった?
水谷 他人に流されそうになることはあります。自分は卓球が中心だけど、まわりは卓球中心というよりも、学生生活が中心ですから。
●——勝ち続けることの苦しさは?
水谷 勝ちにこだわり続けるのはすごくきついし、勝負で勝ち続けるのは本当に難しい。そのためには練習もしなきゃいけないし、研究もしなきゃいけない。勝つためには失うものもある。今頑張ったから勝ってるのではなく、何年も前からの苦労と努力の積み重ねが今の結果につながっていると思う。
●——最近は「水谷隼みたいになりたい」という子どもたちが増えている。水谷隼を目指す子どもたちにメッセージを。
水谷 ぼくを目指してくれている人たちがいることは非常にうれしいです。
ぼくが小学校5年生の時、観客席から全日本の決勝を見て、それ以来ずっとその舞台で試合がしたいと憧れていたし、本気でその舞台に立ちたいと思ってずっと練習してきました。そして6年後の17歳の時にそれを叶えることができた。いろいろ苦しい思い出が多かったけど一度も「自分には無理だ」と思ったことはないです。みんなも自分を信じていればぼくみたいに夢を叶えることができると思います。
ツイート