卓球王国 2024年1月22日 発売
バックナンバー 定期購読のお申し込み
アーカイブ

水谷隼「卓球に人生を賭けています。 卓球のためなら自分がどうなろうと構わない」

 

「正直言って、まわりが思っている以上に、

卓球に人生を賭けています。

卓球のためなら自分がどうなろうと構わない」

 

 

 

技術的には、この1年間で

フォアハンドを改良して、

スイングを変えました

 

今回の水谷隼の全日本は、準決勝の張一博戦、1−3の5ゲーム目の7−9に集約されている。そこでの心理状況や間合いが彼の命運を分けた。

その激戦を制した水谷が決勝で対峙したのは吉田海偉。決勝で3回目の対決となった今回はストレートで下し、「強い水谷」を印象づけて、4連覇を決めた。なぜこれほど決勝という大舞台で水谷は強いのだろうか。

●―決勝の相手は吉田。もう少し競り合いになると思ったけど。

水谷 (注意するのは)とにかくサービスですね。サービスをうまく取れたらいける。決勝の前は練習場で、先輩に頼んで吉田さんが出してくるサービスを出してもらってました。

実際にやったら、途中でサービスを変えてきて、そのサービスのインパクトがよく見えなかったので、どうしようかなと思いました。試合前も先輩にインパクトを隠して出してもらっていたけど、最初から最後まで今いちサービスの変化がわからなかった。リードしてても相手のサービスになったら2本取るのはきつい。ずっと自分のサービスが効いたから良かったけど、4−0で勝たないと危なかった。いつもは良いサービスを(後半に)取っておいたりするけど、この時には最初から最後まで自分のベストのサービスを使い続けました。

 

●―毎年サービスが変わっているように感じる。

水谷 全日本のためではないけど、世界で戦うために、意識して変えるというよりも、自然に変わっていく。特に下回転がブチッと切れるようになっている。

 

●―今回は4連覇という重圧は相当あったと思うけど。

水谷 おじいちゃん(祖父)に4連覇のことを言われていた。連覇を重ねるごとに難しくなるけど、その難しい中で勝ってくれ、絶対優勝しろと言われました。1年前に3連覇した時でも、来年は絶対4連覇しろと言ってましたから。

金曜、土曜日の夜に高山(幸信)監督(明治大)と食事をしていて、それまで全勝だったので、「日曜日の夜もこうやって(全勝で)ご飯食べられたらいいね」と言っていて、そのまま迎えることができた。

 

●―全日本が終わらないと1年が終わった感じがしないでしょ。

水谷 そうですね。全日本が終わってこのホッとする感じは何でしょうかね。この1年は環境も変わって、7年ぶりに海外のリーグに行かなかったし、7年ぶりに青森以外の場所で調整した。この二つのことが不安でしょうがなかった。

 

●―その不安をどう克服したんだろう。

水谷 それはたぶんジンクス的なものだった。実際には、明治でも調整はうまくできていて、これなら優勝できると思っていた。全日本が始まったら今までどおりのプレーができていました。

 

●―この1年間を振り返った時、水谷君にとってどんな1年だったのだろう。

水谷 正直、去年3連覇した瞬間に4連覇のことは考えました。来年はさらにきついなと思いました。ぼくが誰よりも早く、今年の全日本のことを考えただろうなという勝手な思い込みもあった。高山監督も、ぼくが明治に入る前からずっとぼくの優勝を考えていたと言ってました。

やっぱり横浜大会でのメダルは大きかった。自分自身、銅メダルには全然満足できなかったけど、卓球界にとっても良かったとまわりにも言われた。その後のプロツアーでもダブルスで初めて優勝できたし、韓国オープンではシングルスで初めて優勝できた。その間に、国内でインカレ、関東学生リーグ、全日学でも優勝できた。

アジア選手権で勝てたらこの1年間は言うことはなかった。(アジア選手権での逆転負けは)とにかく反省しています。次に同じ状況になったらこうしようと考えています。中国との決勝戦はずっとまとわりつくかもしれない。

技術的には、この1年間でフォアハンドを改良して、スイングを変えました。ボールに対して、1球1球足を使って、身体を使って打つようになって、威力が出てきたし、1球ごとにステップするから次のボールに対しても動きやすい。今まで長い時間をかけてフォームを改良することはできなかったけど、今回時間があったので、良いフォアハンドに改良できたし、中国選手的なフットワークになってきた。

 

●―まわりが一番心配したのは、プロリーグに出なくなることで試合数が減ること、環境が大きく変わることだったと思う。

水谷 海外リーグに出ない分、試合数は減りました。でも日本にいても合宿や国内の試合、海外合宿に行ったりして忙しかった。海外でプレーすると移動の時間が多い。

どの大会に出ても今は勝たなくてはいけないけど、なかなか落ち着いて自分の卓球を見つめ直す時間がないし、試合が多すぎると練習でも気が張り詰めてしまうんです。海外だと2、3日練習して試合をするという感じだけど、最近は2週間くらい練習して試合という感じです。でも、今年は中国リーグに参戦しようと計画しています。日本では、どうしても練習相手が少ないから……。

 

●―水谷隼はこの若さでどこに進んでいくのだろう。

水谷 自分自身が上に行くことで、今の若い選手に道を示すことが大切だと思っています。卓球のルールが変わって、昔の日本の卓球はここ10年くらい世界に通じなかった。やっとぼくたちが新しい可能性を出せている。丹羽が17歳、18歳くらいになった時に今のぼくと同じくらいの実力にさせてあげたい。自分がもっと強くなればなるほど、日本の新しい卓球がみんなに伝わっていく。昔のままの日本の卓球では勝てないし、今は今の卓球があるから、それをぼくが一番に示していきたい。

丹羽とかが出てくるまでは、斎藤(清)さんみたいに40歳とか、ラケットを握れる間は卓球を続けようと思ってました。でも、最近は若い世代に才能ある選手がいっぱい出てきて、ぼくが早く引退して教えたら、世界で活躍するような選手がゴロゴロいる。今の指導では限界があるけど、ぼくみたいに(世界が)わかっているほうがいいんじゃないかな。だから早いうちにやめて教えようかと考えています。

大学を卒業したくらいで、選手と指導を両立していきたい。コーチするのは結構好きなんです。ぼくより才能ある選手はいっぱいいますよ。

 

●―チャンピオンとして負けるのが怖いということはない?

水谷 怖いですよ、メチャクチャ怖いですよ。常に格下の選手とやるわけだから、絶対負けちゃいけないと思っている。死と隣り合わせくらいの気持ちでずっとやっています。ここ1年くらいはそう。自分が賭けている大会、まわりからの注目度が高い大会では生死を賭けるような気持ちです。

関連する記事