やはりそうだったのか。王者が屈辱的な負けを喫した2年前の全日本選手権大会決勝。そして、その敗戦は水谷隼の「ロンドンへの道」への羅針盤を少しずつ狂わせていく。
迎えた2012年の夏。シングルス第3シードの水谷は4回戦でメイス(デンマーク)に敗れ、団体戦では負けなしだったが、北京五輪に続き悲願の五輪のメダルを逃した大きな悔恨。今回、五輪後初めて「あのロンドン」を語ってくれた。
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●ー水谷隼を語るうえでは、ロンドン五輪のことを聞かなければいけない。五輪のことを語りたくないという気持ちはわかるけど、そこはやはり通過しなくてはいけないと思う。なぜなら、あの大会は君が本気でメダルを狙っていた大会だから。今振り返った時に、あの大会でうまくいかなかったのは何だったのだろう。
水谷 そうですね。(しばし沈黙)シングルスでメイスに負けて、もちろん実力が足りなかったというか、相手のほうがその時に自分より良いプレーしていたのは事実です。
●ー敗因はメンタル? それとも戦術?
水谷 いやー、そういうところじゃないんですよ。オリンピックというところは違う場だし、オリンピックのプレーというのは語ってもしょうがないです。参考にならないです。何回オリンピックに出ようが常にオリンピックだけは初めての試合のような感じです。
●ーそれだけ特別だと準備しにくいね。じゃ、リオ五輪に向けて何をしたらいいんだろう?
水谷 もう何も考えずにやるしかない。しっかり準備して、オリンピックまでに積み上げていくものが大事だと思う。いかにオリンピックまで練習を耐え抜いてきたか、厳しい試合を耐え抜いてきたか。そういう経験とか、オリンピックまでのものがオリンピックの舞台で発揮されると思う。オリンピックが始まった時にはある程度勝負は終わっているみたいな感じですよ。
●ーオリンピックではどうあがいてもしょうがないんだね。それまでに選手としてどう努力して、力をつけていくのかが重要だということだね。
水谷 そうですね。
●ーオリンピックの敗戦は引きずった?
水谷 それはないです。
●ーしかし、実際には第3シードでメダルを期待され、自分もメダルを狙っていたオリンピックで負けた喪失感のようなものがあったのでは。
水谷 0ー4であそこまで簡単に負けたから、修正していたら勝てたとかじゃなくて、何をやっても勝てなかったと思うんですよ。あの嫌な記憶はぼくの中ではあっという間に消えましたね。ただ、シングルスで負けて、そこで何倍も引き締めて、団体では良いプレーができた部分があります。
●ーオリンピックが終わってからは、ブースター(スピード補助剤)問題のこともあり、国際大会への参加を自粛して、悶々として練習をやらない時期もあったけれども、今はどういうふうに考えているんだろう。今もルールは変わっていないわけだから。
水谷 やれることはやった。自分がやれることはやり尽くしたし、自分を応援してくれている人たちにプレーを見せたかったし、自分自身もプレーしたかった。
今でも、世界的には多くの選手がブースターを使っているし、日本選手でさえも解禁という流れもある中で、自分もいろいろ考えなければいけない。ただ、今までみたいに自分が行動を起こすことはないと思う。勝つために最善を尽くすだけです。
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