オフチャロフが
メダルを獲れたんだから
自分が獲れないわけはない
●――ロンドンが終わってからもうすぐ4年経つけど、その間、ロシアリーグに13年から参戦している。この4年間で得たものは何だろう。
水谷 ロンドンが終わってから4カ月間くらいは卓球をしていなくて、モチベーションもなかったし、このまま卓球から離れていくのかなという感覚がありましたね。実際にその後の全日本選手権でもベンチコーチがいない状態で負けて、次の年の世界選手権のパリ大会でも初戦で負けた。今までの卓球人生の中で挫折というか、初めて卓球と向き合えていなかった時でした。一番下まで落ちている感覚でした。
ロンドンが終わった時には世界ランキングも一番上だったし、他の選手も強くなかった。ただ、その後のツアーではオフチャロフ、ボル、荘智淵、サムソノフと差がついたかなと思ったし、焦りました。
(13年)5月にパリで負けて、その後のツアーでも負けて、このままじゃダメだなと思った。まだ23歳だし、何かきっかけがほしいと思った。日本にいてもダメだと思った。トレセンもできて、日本の強化体制も変わったから、日本でも強くなれるかもと思ったけど、実際にはそうでなかった。やはり日本にいたら強くなれないと強く感じましたね。だからロシアに向かった。
ロシアリーグ参戦はひとつのターニングポイントでしょうね。あれがなかったらそのまま落ちていったのかもしれませんね。ロシアに行って、そこで吹っ切れた。本当に卓球に懸けようと思った。
●――ロンドンの時と今の水谷隼を比べたらどうだろう。
水谷 すべてに強くなっています。心技体、すべてが成長している感じがあります。
●――4年に1回という大会で、選手年齢を考えたら、今度のリオが自分のピークで迎える大会になるかもしれないね。
水谷 そうですね。卓球選手のピークは27歳前後と考えれば、自分の一番良い年齢でオリンピックを迎えたと言えるけど、この半年間やっていて、今やっとスタートしたな、今のぼり始めたなという感覚があります。何かをつかんだし、成長できるきっかけをつかんできたなと思っています。唯一、ケガだけが心配です。そう考えたら、むしろ4年後の東京がピークかなと思う時があります。
●――試合が始まる8月6日をどのような気持ちで迎えるんだろう。
水谷 オリンピックは試合数も少ないし、運、ドローも大事になると思う。できるだけ自分の相性の良い相手とやりたいですね。そのためには第3シード、第4シードを獲得するのが大事なので、出られるツアーには全部出てシード権を獲得したいですね。
●――水谷君の上に来る選手は限られている。中国の馬龍、張継科、オフチャロフ、ボル、荘智淵と絞り込んで練習しているのかな。
水谷 まだですね。ここから始まるツアーの連戦でつかんでいきたい。
●――団体戦は、世界選手権でも初の決勝に進んでいるし、メダルの可能性はある。
水谷 今まではチーム戦のほうが可能性が高かった。ロンドンでも、シングルスとチームならどちらが可能性あるかと聞かれれば、チーム戦だった。でも、今回はチーム戦も厳しいと思います。ぼくは自分の与えられたことをやるだけです。まずは組み合わせが大事ですね。
●――君にとってのオリンピックというのは何だろう。オリンピックのメダルとは何だろう。
水谷 卓球を始めた時からの夢ですから22年分の思いが詰まっています。
●――ロンドンで女子の表彰式を見て、日の丸が揚がったシーンで感動したでしょ?
水谷 いいですよね。すごいですよね。オフチャロフが表彰台に立ったのを見てもすごいと思いました。でも、オフチャロフがメダルを獲れたんだから自分が獲れないわけはないと思いました。彼には何回も勝っていますから。実力的にはロンドンで獲ってもおかしくないじゃないですか。
●――それはそうだね。不安材料は?
水谷 最近はないですよ。メンタル的にナーバスになる時はあります。あと2カ月でそれを力に変えたいですね。
ロンドンの時には、大会の1カ月以上前から寝られなかったんですよ。トレセンで合宿していても睡眠が十分にとれなかった。3時とか4時まで寝られなかった。いろんなことを考えてしまった。睡眠障害でしたね、完全に。
プレッシャーが大きかったし、自分を追い詰めていたんですね。自分を苦しめることで良い結果が残せるという考えだった。自分を追い詰めるほど、苦しめれば苦しめるほど良い結果が出せる。負けた時には自分を追い込んでいなかったからだ、楽をしていたからだ、という思いがロンドンの前にはあった。
ロシアリーグに行くようになってからそういうのはなくなりました。何かを考えて、いろんな場面を想定しなきゃと思うと寝られなくなる。あいつと対戦したらこうしよう、それに対してこうされたら何をしようかと考えて寝られなくなる。今回はそれはないと思う。自分を信じているから。今は試合前にあれこれ考えなくなって、試合にサッと入るし、試合になればものすごく集中できるんです。
どちらでもいいと思う。ものすごく不安のある人はいろいろ考えればいいし、そのまま試合に入れる人はそうすればいいんですよ。ぼくはその両方を経験したけど結果は変わらなかった。だったら楽なほうがいい。最近はすごく良い状態です。ツアーの決勝でも良い状態で入れるんです。
自信さえあれば、大丈夫です。3月のクウェートオープンでの許昕との試合(最終ゲームでマッチポイントを取ってから逆転負け)やアジア予選での張継科との試合も負けたけど感触は良かったし、その良い感触があったからポーランドオープンも優勝できたし、アジアカップも黃鎮廷には負けたけど全体的に良いパフォーマンスができた。
●――オリンピックで日本の卓球ファンにメダルを見せてください。
水谷 はい。頑張ります。
◇◇◇
ロンドンと同じ過ちを犯すわけにはいかない。後悔を引きずるには4年間という時間は余りに長すぎるからだ。
リオ五輪を目前に控えても、シード権獲得のために水谷隼の苛酷な戦いは続いている。しかし、そこにはロシアリーグに挑み、経験したタフな水谷がいるはずだ。この4年間、小さな石を一個ずつ積み重ねるように自分の実力を上げてきた日本のエースに、誰もが期待を懸ける。日本男子にとって悲願の五輪メダル。目の前に見えるが、手を伸ばしてつかみ取るまでが容易ではない。
国内で歴史を塗り替えてきた男が、新たな歴史の扉を開くことができるのだろうか。卓球ファンはリオデジャネイロが水谷隼にとって約束の地になることを信じている。
(文中敬称略)
水谷隼●みずたに・じゅん
1989年6月9日生まれ。静岡県磐田市出身。全日本選手権のバンビ・カブ・ホープスの各年代で優勝。ドイツ・ブンデスリーガでの卓球修行によってその才能を磨いた。09・13年世界選手権では、岸川聖也と組んだダブルスで銅メダルを獲得。全日本選手権では史上最年少の17歳7カ月で優勝し、平成27年度全日本選手権大会では8度目の優勝を達成。2014年ITTFワールドツアー・グランドファイナル優勝、世界ランキング6位(16年6月現在)
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