卓球王国 2024年1月22日 発売
バックナンバー 定期購読のお申し込み
トピックス

白球の聖地 〜バタフライ卓球道場物語 vol.1「行けるだけでワクワクしました」(吉村)

何よりもバタフライで働く

スタッフの方々の

卓球への情熱に

感銘を受けましたね

●プリモラッツ

2021年のITTF(国際卓球連盟)の年次総会で、ITTFアスリート委員長としてバタフライの大澤卓子社長(左)に感謝の盾を送るゾラン・プリモラッツ。ジュニア時代に日本で腕を磨いた

 

 

バタフライ卓球道場は1983年の設立後、全国の指導者や家庭婦人(レディース)の講習会、中学生や高校生、大学生などの強化合宿などに幅広く利用されていく。

そこで指導に当たったのは伊藤・長谷川の両世界チャンピオンをはじめ、ハンガリーを男子団体世界一に導いた名将ゾルタン・ベルチック、当時の全日本チャンピオン斎藤清を二人三脚の猛練習で鍛えた辻歓則など、超一流の指導陣だった。社内にも全国大会出場レベルの社員が多く、中学生の合宿では練習相手を務めることもあった。

 

現代のネット社会とは違い、当時は卓球の技術や指導に関する情報がまだ少ない時代。指導者講習会では、出席した指導者たちがそれぞれに温めてきた指導論を交わし、時には夜を徹した激論となり、様々な情報を吸収しては自らのチームに持ち帰って広めていった。

道場では海外からの卓球留学生も積極的に受け入れた。恵まれた練習環境に加え、日本に滞在中の宿泊費がかからないことは、若い留学生たちにとっても魅力的だった。

現在、ITTFアスリート委員長の要職にあるゾラン・プリモラッツ(クロアチア/当時:ユーゴスラビア代表)が、ハンガリー女子チームのエディット・ウルバン、チラ・バトルフィとともにバタフライ卓球道場の門を叩いたのは1986年(昭和61年)のことだ。

 

まるで卓球の楽園に

いるような気分になりました

●グスタボ・ツボイ

14歳の時にバタフライ卓球道場に3カ月留学したグスタボ・ツボイ(ブラジル)。飛躍的な成長を遂げ、オリンピック代表へと駆け上がっていった

 

バタフライ卓球道場への留学生の受け入れは現在も続けられている。写真はブラジル・アルゼンチンからの留学生

 

「私は当時17歳とまだ若く、日本への旅は数少ない海外への渡航経験のひとつでした。道場を初めて訪れた時、施設や設備の素晴らしさにも驚きましたが、何よりもバタフライで働くスタッフの方々の卓球への情熱に感銘を受けましたね」。プリモラッツはまるで昨日のことのように、当時の思い出を語る。

「道場での出来事で鮮明に記憶しているのは、寝る時に畳の上に布団を敷き、『ここが君の寝る場所だよ』と伝えられた時のことです。床の上で寝るなんて予想もしていなかったので、とても驚きました。でも、私のすぐ近くの布団で、元世界チャンピオンの伊藤繁雄さんが寝ることを知った。『こんなに世界チャンピオンの近くで寝られるんだ』とうれしくなった私は、すぐにおとなしく寝ることができました」(プリモラッツ)

 

プリモラッツは日本に留学した翌年、1987年世界選手権大会でイリヤ・ルプレスクとペアを組み、男子ダブルス準優勝。1988年ソウル五輪でもルプレスクとのペアで銀メダルを獲得し、1992年ヨーロッパ選手権大会男子ダブルスで優勝するなど、トップ選手としての地位を確固たるものにしていった。バタフライ卓球道場での経験は、彼の原点のひとつだ。

「特別な床が使われている練習場、明るい照明と大量の質の高いボール、録画された試合を見て勉強できる視聴覚室など、まるで卓球の楽園にいるような気分になりました」。そう語るのは、2021年に行われた東京五輪にブラジル代表として出場したグスタボ・ツボイ。初めての留学当時、14歳だったツボイは卓球を始めて2年ほどしか経っていなかったという。しかし、3カ月の留学期間を経て帰国する頃には、周囲も驚くほどのレベルアップを遂げていた。

 

「バタフライのスタッフが親切にしてくれたこと、いろいろと配慮してくれたことはとてもありがたかった。道場の練習に来ていた様々なチーム、選手との交流も大変良い思い出です。

異国の地で全く異なる文化を学ぶことで、私は人としてより早く成長し、異なる人生観を持つことができた。それは、その後の私の卓球キャリア形成に、大きな影響を与えました」(ツボイ

将来のトップ選手を夢見て来日した、数多くの卓球留学生。内戦によって練習場所を失っていたボスニア・ヘルツェゴビナの選手たちを招待し、練習場所を提供したこともある。

留学生たちの歓迎会や送別会にはバタフライの社員も出席し、異文化にとまどう留学生たちを笑顔で迎え、彼らの前途を祝った。

「私は道場で練習してから、バタフライ・ファミリーの一員であるという気持ちを持つことができるようになりました。バタフライは私にとって二番目の家族であり、故郷のような場所なんです」。ユーゴスラビア内戦の辛苦を経てクロアチア代表として活躍したプリモラッツの言葉には、深い親愛の情が籠(こ)もっている。

<続く>

文=柳澤太朗

 

「白球の聖地 〜バタフライ卓球道場物語」は卓球王国2022年2月号にも掲載しています。

関連する記事