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水谷隼・王者帰還「勝つと嫌われるんですよ。 嫌われたくないけどしょうがない」

 

「昔は勝たなきゃ何の意味はないと

思ってましたけど、

今は少しでも長く自分のプレーを

したいですね。

2020年の東京オリンピックまで

あと7年しかないんですよ。

そこで勝ちたい」

「あの時、バックハンドが振れたから勝てたというゲームがある」と本人は語る。バックハンドは明らかに以前よりも改良され、攻撃的になっている

 

ジコチュウで自分勝手だけど、

自分が正しいと思っている

 

●ー日本の選手は自分が周りにどう見られるのか、どう評価されるのかを気にしすぎるように思うけど。

水谷 ぼくも気にしますよ。人一倍気にするほうかもしれない。ただ気にするけど、自分のほうが正しいんだと思います。普通は嫌われないように周りに合わせたりするんだけど、気にしながらも周りがオレに合わせろよと思ったりする(笑)。

 

●ーそこが違う。そこが水谷隼だ(笑)。

水谷 ジコチュウで自分勝手だけど、自分が正しいと思っている(笑)。何人に言われようが、周りの全員が自分と違う意見でも「オレが正しい」と。でも、オレ、嫌われてるだろうなと気にしますよ。

 

●ー気にするけど、合わせようと思わない。オレが正しい。だから、オレが勝つんだと思うでしょ。

水谷 そうなんですよ(笑)。

 

●ーでも、自分で選んでいるとはいえ、それは苦しいね。

水谷 苦しいですよ。でも、そうしないと勝てないからです。周りと同じにやって勝てるんだったら、それでもいい。でも現実はそう甘くない。プライベートの時は相手に合わせてばかりです。

 

●ー大会前、激戦になると予想していたのに、終わってみれば、「水谷の全日本」だった。

水谷 誰が優勝すると思っていたんですか?

 

●ー隼!

水谷 また、また(笑)。違う人に賭けていたんでしょ。

 

●ー優勝候補が次々負けて、結果として、予想どおり「隼」だった。

水谷 丹羽か健太でしょ(笑)。

 

●ー12月発売号で君の特集をやったでしょ。でも、こんなにストイックだったとは思わなかった。

水谷 ガラッと変わったのは前の取材(11月)の後ですよ。だから結果もガラッと変わった。でも、周りはまた調子こいて言ってるよと思っている。いつもと同じだよと(笑)。ナショナルチームの他の選手はぼくが勝つことが一番悔しいんですよ。ナショナルチームの中では練習しないというイメージだし、そういう選手が勝つと嫌われるんですよ。嫌われたくないけどしょうがない。

 

●ー齋藤清選手の8回という最多優勝記録が見えてきた。

水谷 5回目の後は、いつ優勝できるかわからなかった。

 

●ーなぜそこまで水谷隼は強いんだろう。

水谷 周りの人が何を考えて卓球をしているかわからないけど、自分の心に従って正しいことをやっているだけ。自分が思う強くなる道を進んでいるだけ。

 

●ーその先にあるのは何だろう。

水谷 何でしょうね。それをこれから見せますから楽しみにしてください。昔は勝たなきゃ何の意味もないと思ってましたけど、今は少しでも長く自分のプレーをしたいですね。2020年の東京オリンピックまであと7年しかないんですよ。そこで勝ちたい。悔いを残さないために一日一日節制して練習して生活したい、純粋にそう思っている。その前のリオ(オリンピック)もあっという間。去年のパリの世界選手権から今までもあっという間だった。

 

●ー2020年に31歳なら相当なパフォーマンスはできる。

水谷 今のまま続けていけば31歳でも大丈夫だと思います。理想は40歳近くまでやりたい。ケガでどこか傷めて終わりたくないですね。

 

●ーなんか本当のプロフェッショナルになってきた感じだね。

水谷 そうですね。今は超ストイックですよ。若い時の経験がいろいろあったから、今わかるんですよ。

● ● ● ● ● ● ● ● ●

水谷隼は明らかに変わった。

ボールに対する鋭敏なセンスと強靱な体、そして競り合いに強いメンタル。しかし、その才能をもてあますようなマイペースな生活を過ごしていた彼は、ストイックな大人の選手になっている。

そして、勝利を重ねれば重ねるほど、孤高な道を歩み、日本の卓球史に名を刻むチャンピオンが、次にその名を刻むのは世界の卓球史だ。

ストイックなチャンピオン、水谷隼の孤独な戦いはこれからも続く。

(文中敬称略)

 

水谷隼●みずたに・じゅん

1989年6月9日生まれ、静岡県磐田市出身。ドイツ・ブンデスリーガでの卓球修行によってその才能を磨き、05年世界選手権では当時世界ランキング8位の荘智淵(チャイニーズタイペイ)を破って世界に衝撃を与えた。09年・13年世界選手権では、岸川聖也と組んだダブルスで銅メダルを獲得。全日本選手権では史上最年少の17歳7カ月で優勝し、シングルス5連覇。今年1月の平成25年度全日本選手権大会では6度目の優勝を達成した。DIOジャパン所属、世界ランキング13位(14年1月現在)

 

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