超級リーグプレーオフ(10月3〜12日)での熱闘の余韻もそこそこに、10月17日から浙江省温州市で集合訓練に入った中国国家チーム。
東京オリンピック後の去就が注目されていた男子チームの馬龍と許シン、女子チームの劉詩ウェンの名前も参加選手リストに掲載されている。馬龍についてはオリンピック後に引退し、北京市チームのコーチとして指導者の経験を積むものと見られていたが、今なおその存在感は絶大。中国男子の「扇の要(かなめ)」とも言える存在であり、簡単に引退はできないようだ。
その一方で、すでにお伝えした周雨と方博に加え、男女合わせて10名の選手が国家チームを引退する。まず男子チームからは、周雨(29歳)、方博(29歳)、閻安(28歳)、鄭培峰(25歳)の4名。32歳の馬龍、31歳の許シンが現役の国家チームのメンバーであり続ける中、彼らより若い20代後半の選手たちが先に第一線を退く。
1990年代前半に生まれ、「90後」と言われた周雨・方博・閻安の世代。馬龍や許シンとは年齢的には2〜4歳しか離れておらず、ほぼ同世代のようにも見える。しかし、方博や閻安が2009年に世界ジュニアに出場した時、すでに馬龍や許シンは世界選手権横浜大会で中国代表として活躍していた。そして2010年代に入り、張継科・馬龍・許シンがオリンピックや世界選手権で優勝争いを繰り広げ、年下の樊振東も加わる中、「90後」でその壁を突き破ったのは15年世界選手権で張継科を破って2位になった方博くらいか。
なぜ32歳の馬龍が国家チームの現役選手であり続け、29歳の周雨・方博や28歳の閻安がチームを去るのか。卓球王国11・12月号で『五輪の技』を監修していただいた男子ナショナルチームの田㔟邦史監督、女子ホープスナショナルチームの下川(旧姓:藤井)寛子ヘッドコーチのコメントに耳を傾けてみよう。
「馬龍はかつてはフォア主戦型でしたけど、樊振東や(張本)智和のようなバックの強い選手が出てきて、両ハンドでプレーするスタイルに変わっていった。あのレベルまで来ても、自分のプレースタイルや戦術を変えることができるのはすごい。自分で得点を狙うだけでなく、相手のミスも誘えるし、得点のパターンが多彩になっている」(田㔟監督)
「硬質なプラスチックボールになって、張本くんや(伊藤)美誠ちゃんが中国に一度ならず、二度、三度と勝っていった。その速さに対抗するため、中国選手のプレー領域は相当前になったと思います。15年世界選手権の頃はもっと下がって引き合っていたし、18年ジャパンオープンで馬龍が張本くんに負けた試合では、台から下がってフォアを抜かれる場面が多かったですから」(下川ヘッドコーチ)
世界の頂点に上り詰めてなお、用具の変化、世界のプレーの潮流に対応し、前陣での両ハンドスタイルへとプレーを進化させていった馬龍。一方、周雨や方博、閻安のプレーに大きなアップデートは見られなかった。13年世界選手権でベスト8に入った両ハンド速攻型の閻安は、現在の速い卓球にも対応できる力があったように思うが、他のトップ選手のような絶対的な武器がなかった。17年全中国運動会で2回戦で敗れ、茫然自失の表情でコートを去る姿が忘れられない。
進化なき者は去るのみ。国家チームの厳しい現実を見せつけられた、「谷間の世代」の世代交代。郭躍華(81・83年男子世界チャンピオン)の秘蔵っ子と言われた右ペンドライブ型、鄭培峰が国家チームを去るのも寂しいニュースだ。
※写真提供:『ピンパン世界』
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